泥遊び 筆遊び|加藤静允


14|小筒・私流の胴継ぎにして


 

加藤静允 作

 泥遊びで小さなものを作るのもまた楽しいものです。何時の頃かもう忘れましたが、ずい分昔、20年か30年も以前のことでしょうか、中国模しの小さな湯呑状のもの、いや少し大き目の筒状のぐい呑型のものを盛んに作ったことがありました。この時も何人かから褒めてもらい、褒めてもらうとうれしくなって、又更に楽しく作ることになるのです。厳しい批評も有難いけれど、やっぱり甘言は耳に心地よく、うれしく、泥遊びの手が更に昂ぶります。
 小筒は和風にキッチリとやや薄めに作ったり、少し厚めに作って、面取りや鎬(しのぎ)手にしたり、時には吹墨や染付また吸坂風にもして遊びます。しかし、ここにお示しした頃の小筒はみんな胴継ぎにして作っていたようです。
 中国の焼物では、我々が袋ものと呼ぶ徳利や瓶・壺状のものはほとんど胴継ぎにして作っています。日本の土で陶車(ロクロ)を引く者の目から見ると何とも不思議です。「コンナモン、ワザワザ胴継ギニセンデモ、イッペン(一度)ニ引イタラエエノニ。ナンデコンナコトスルンヤロ」と。
 焼物好きなら先刻ご承知のことですが、日本の磁器土(石モノ)と陶器用の各種の土(土モノ)とでも、その可塑性がだいぶ異なります。土モノ用の粘土で陶車が自在に引ける者でも石モノ用の磁土で陶車を引くとその腰の無いのに戸惑うことがあるのです。一般の人々にはあまり知られていないようですが、焼物作家・職人と呼ばれる一群の人々は、石モノ屋か土モノ屋かに或る点で厳然と分かれます。どちらから入門したかのほのかな手くせは、何年経ってもはっきりと解ります。土モノ屋が作った磁器、石モノ屋が作った陶器はなんとなくちぐはぐな所が感じられるのは面白いところですね。

 私は一応石モノ屋の弟子ではあるのですが、素性のはっきりしない遊び人です。真面目な陶器製作者からは「シャアナイヤッチャ、オシロゥトサンヤ」と見られながらも、厚意ある周りの人々に守られて泥遊びを続けて来ることが出来たのは幸せでした。

 中国風に胴継ぎにして、いろいろと楽しんでいた時のこと、なぜ中国もんは胴継ぎなんやろと考え、作品の観察をつづけて、幾つかの説明をするようになりました。普通に考えれば、中国の磁器土が可塑性が少ないので、日本の土のように陶車上で一度に伸ばし、肩から口まで一気には作りにくかったのであろうと思われるのです。
 でも小さい徳利・瓶・壺状のものすべて胴継ぎにして作っています。これは不思議ですね。私の愛蔵品の一つに元の染付梅花文の小壺があります(平凡社・陶器全集「元・明初 の染付」モノクロ写真・巻頭に所載)。この小壺の下半分はキッチリと型抜きで作られており鉋での削りは全くありません。胴の上半分は陶車で作られ、首はまた別に作り差し込んでいるようです。中国の職人さんが1メートル余の棒を使う手廻しの大きな陶車で削りをするのを見たことがありますが、厚手に引いた鉢をみごとに丁寧に削り出していました。見ているとすぐに休んで、削り鉋を砥ぐのです。鉋を砥いでいる時間の方が長かったのに驚かされた記憶があります。鉋もいろいろな種類がありました。日本の稲刈り鎌のような鋸刃のものがあって珍しかった記憶があります。

自分で作る時、下半分を型起しするとよいのですがどうもめんどうで、下半分も陶車で造り、その上にワッパを足して、丁寧にくっつけて、胴継ぎ小筒を作ります。ずい分やっかいな作業ですが、出来たものは胴継ぎの雰囲気がまた本歌には無い、ふくらみ・ゆがみが出て面白いものになったのを憶えています。
 或る腕ききの料理人さんから「あれに、ぬたやこのわたをチョット入れて出すと、焼物好きのお客さんが大層喜ばはります」と聴かされて、うれしかったのが忘れられません。また、大の酒好きの同級生から「カトウあれ手で持った時の感じがなかなかええで。このところ毎日使こてるわ」と聞くと、うれしくて「マタナンカ、ツクッテミヨカナア」という気になるのでした。


加藤静允(かとうきよのぶ)

京都生まれの小児科医。鮎を釣り、書画を好み、陶芸をたのしむ。すべて「ソレデイイノダ」が最近の口ぐせ。細石は少年のころ井伏鱒二にあたえられた釣人の号。


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