泥遊び 筆遊び|加藤静允


15|半覚半眠朝復夕 目疎耳聾愉耄客


 

加藤静允 作

 この春には87才になります。この数年寒い間は全く泥遊びをしなくなりました。ついこの間までは作りたいものがあれば寒い間でもサッと仕事場へ行き、素早く50年来使用のブルーフレームの白燈油ストーヴをつけ、お湯を沸かし、部屋が温かくなる間に、土ムロから土を取り出してひと玉5kgの土を2つ3つ菊揉みします。土ムロの中には赤ちゃん用の電気ごたつが入れてあり、土はほんのり温かくなっています。土の用意が出来た頃には部屋も暖(ぬく)もり、お湯も沸きます。やり出せばその手の速いこと。でも最近は少しやり過ぎると疲れが一晩でとれなくなりました。
 夏ならば外の干し場に出しておくと、小さいものなら半日もしない内に削りぐあいの良い段階まで乾くのですが、厳冬期は乾きません。作品の表面に水分が多く残っている状態で夜になり、氷点下になったりすれば凍結してすべてが破れつぶれてしまいます。初めの頃、解っているのにこの失敗を何度かやったことがありました。
 昔は作りたいものがあれば夢中で楽しんでいたのです。当時作ったものを最近になって見せられて「ヘェー! コンナモン、ヨウ作ッタナア!」とつくづく感心することがあります。今はもうとても作れませんし、第一作る気にもなりません。年ですね。
 この数年は日常に無理なく、気分よく使用できる磁器を夢みて作ることが多くなりました。五寸皿、六寸皿、湯呑、ぐい呑、徳利、乳瓶様の面取り小瓶などなど、時に少し大きい煮物鉢とか。とりわけ五寸皿と六寸皿が使い勝手がよいと喜ばれることが多いので、無理なく遊べることもありよく作ります。老来見込のヘラ抜ケが悪くなりました。しかし、これがまた面白いことに使用する時、中央が心持ち凹んでいると汁だまりになり、使用上の利点になるようです。老の恵みですね。

 縁はきっちりと、セーム皮で締めるので丈夫で欠けにくく「ボクの焼物(ヤキモン)は床に落としても破れませんよ、但し焼物どうしカチンと当てると缼けますけどね」などと言(ゆ)うて笑われています。
 食器は毎日、日に3度使うとなればやはり耐久性も衛生上も磁器がよいと思われます。勿論、食事は楽しみ第一なので、好みの食器をいろいろと使用し楽しむことが大切であると言うことに異論はありませんが。
 最近の私の磁器は少し厚めで重いけれど、しっかりと焼けています。多くは染付、時に白磁線彫りくらいです。絵を描こうとしている時、白洲正子さんの声がふと聞こえることがあります。「センセエ、エハカキスギチャダメヨ!」と。もう老耄おおいに進み、しっかり描き込んでくれて言われても、そんなんとってもようかかんわと言うところです。
 先日、神山繁さんにおだてられて作った、元禄頃の伊万里・八寸・縁(ふち)つき輪花・見込に打型模様入、縁まわりに細くしっかりと染付花唐草文を描いた皿が食器棚から二枚出てきました。一枚は一部分酸化しています。上出来の五枚は神山さんのお宅に行ったのでしょう。「フーン、コンナモンマデ作ッテタンヤー」と感心することしきりでした。

 最近はもう日常に使ってもらえそうなものしか作りません。それがまた一番楽しいのですね。老ゆく身心を如何に維持して1日1日を楽しむかを自作自演しているのです。
 さて、今回で15回目の作文、自分で読み返してみて「オカシトコ、アルヨウニ思ウケド? ヨウワカランナァ」ということになりました。

 8、9才の頃から釣りキチであった私は中学生になりアユの友釣りを教えてもらいました。同じ頃から釣りの文献を集め出したのです。そして佐藤垢石先生のお弟子の井伏鱒二という人が岩波新書に『川釣り』という本を書いておられるのを知りました。或る日、お弟子さんならええやろうと「私に釣師の号をつけて下さい」と手紙を出したのです。数日にして返事があり「細石では如何でしょう− ー名づけしもの井伏鱒二」と。その後40年近くのうれしく楽しいおつきあいがありました。学会で東京へ行く時、幾度荻窪のお宅へ伺ったことでしょう。先年ふくやま文学館へご縁が出来、先生から頂いた書簡140通余りを寄贈させていただくことが出来ました。先生の最晩年、書かれたものについての哀しいうわさを仄聞することがありました。それを思うと私ももうこの辺で不特定多数の方々に読んでいただくものを書くのは遠慮すべき! と思い至りました。

 15回に渡る老耄の文章、お読み下さったこと心より感謝申し上げる次第です。

 少年日日時時夢 遊泥楽筆憶千惜


加藤静允(かとうきよのぶ)

京都生まれの小児科医。鮎を釣り、書画を好み、陶芸をたのしむ。すべて「ソレデイイノダ」が最近の口ぐせ。細石は少年のころ井伏鱒二にあたえられた釣人の号。