泥遊び 筆遊び|加藤静允


3|良寛さまと遊ぶ


 

 学生の頃座辺に置いて勉強に疲れたら眺めて楽しむものが幾つかありました。崋山の四州眞景図、虫魚帖、良寛の細楷、備州三原住貝正近作・天文十年二月日の短い皆焼(ひたつら)です。良寛の書は図譜ではもの足らず、大塚工芸社の工芸画を何点か求めました。当時大阪・梅田の阪神百貨店の中二階に支店があり、注文しておくとまくりの状態で取り寄せてもらえたのです。古美術店で買うほどのお小遣いも無く、中途半端なものはイヤなのですから。当時の大塚工芸社の工芸画は現在のすぐ印刷とわかるようなものではなく、紙も彩色もそれはよく出来たものでした。昭和40年代に入り高価な美術譜が出だした頃から、工芸画も職人制作でなくなったのか魅力のうすいものになってしまいました。小林秀雄だったか、本ものと思って買ったものが工芸画だったので怒って切り裂いたという小咄がありました。

 

 この良寛も本歌を知っていて、こんなものがここに在るはずがないと見ぬく人以外には本もので通ります。

 墨で描いたものの線の面白さ気分の良さは独特のものですね。古写経や絵巻の筆の線は見ていて飽きることがありません。

 良寛の細楷は大好きですが、草書の書き散らしたものにはあまり目が行きませんでした。でも最近になって崩し方のくせを知り少し読めるようになると、ウンマアと立ち止ることもあります。でもやっぱり「草庵雪夜作」が心に強く響きます。自分が一生の終りに近づいたこともあるのでしょう。先日20分間ほどゆっくりじっくり拝見する機会がありました。やっぱり生きてるとええことうれしことあるなあとつくづく思いました。すぐ横に貞心尼への手紙が掛けられています。それがまた何んともよそ行きの線で書かれているのに思わず頬が緩みました。

 表具したこの書簡はこの時江戸にいた維馨尼(いけいに)とゆう尼僧に贈ったものでよく知られたものです。彼女は与板三輪権平の娘で結婚後夫に死別し尼僧になったと伝えます。この良き複製もこれだけ掛けられてもとても読めません。よって細石が誰れもが読めるように書いた一枚を加えて台紙貼り二紙二段に表具しました。

 『人を思えば山河遠し、翰(ふで)を含んで思い萬端』との詩句を贈られたら、如何にうれしかったことでしょう。贈る良寛さんのうれしさもわかります。

 上下は越後上布、すじ風帯、中はうんと古い泥紙、細い一文字廻しはインド更紗。軸先は竹に。

 良寛さんは「私のは漢詩ではないので、漢詩について語るのはイヤだ」と申されていた由。確かにこれは五言古詩で六句ですが、思人山河遠 含翰思萬端の平仄を見ると◯◯◯◯⚫️ ◯◯◯⚫️◯ でいくら古詩でもこれは当時としては漢詩とは認められなかったでしょう。でも 巒◯端◯ と上平声十四寒の韻は踏んでおられるのです。チョットは気にしてはるのが楽しいですね。


加藤静允(かとうきよのぶ)

京都生まれの小児科医。鮎を釣り、書画を好み、陶芸をたのしむ。すべて「ソレデイイノダ」が最近の口ぐせ。細石は少年のころ井伏鱒二にあたえられた釣人の号。


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