泥遊び 筆遊び|加藤静允


6|栗林勇二郎さんのこと


 

染付梅菊文茶碗 加藤静允 作

 この一文は初期伊万里を想い、栗林勇二郎さんを偲んで書いています。もうずーっとずっと昔、彼はNHKにお務めの若手で、元気元気パリパリと音のするように働いておられたのです。私とは初期伊万里を通してのおつき合いでした。私は元和・寛永の最初期と想われる未熟で稚拙で呉須の色もあまりはっきりしないようなものに強く魅かれていたのですが、栗林さんはもう少し上手(じょうて)の呉須を用いたもの、絵もしっかりと描き込んだもの、寛永中期以降のものが好みでした。藍九谷手と言われる一群のものよりは少し古く力のある一群のしかも上手の作品です。染付として古格があり、スッキリ・キッパリしたものに心底惚れ込まれるようでした。「私は好きな初期伊万里に出会って、値段で諦めたことは無いのです」と言っておられたのが忘れられません。私などは心底ほしいなあと思っても、これはトッテモムリと値段で諦めてしまうことがよくありました。栗林さんの初期伊万里のコレクションにはさすが名品と言われるものが多く、その幾つかは成書に所載されています。初期伊万里の展覧会を企画すれば栗林勇二郎氏蔵の数点は絶対に必要だったのです。

 その栗林さんがどうしても欲しい初期伊万里の茶碗があると言います。「ほんで、また思いきって買わはったんですか」と問うと、いや、それが或るコレクターの持ちものに納ってしまっていて、仰せの値段でいただきますからと言うてもダメなんですとのこと。

 「フーン、栗林さんがそんなに惚れ込まはる初期伊万里の茶碗てどんな茶碗やろ。初期伊万里にちゃんとした茶碗てあるやろか? 是非拝見したいもんやなあ。実物手に取って見せてもろたら、ボクが作ったげるわ」と半分は夢の冗談で話したことでした。

 その時、夢の中に出て来た茶碗、二十ほど作ったのでしょうか。少し深めのもの、大きめのもの、小さいの。染付 梅菊文 茶碗です。梅と菊やから夏以外何時でも使えるでしょう。

 一番出来がええと、自分で思うの一碗、栗林さんに呈上したと思うのですが、その時の彼の反応がどうであったか、今はもう全く記憶にありません。往時茫茫です。少しは褒めてもろたような気もするのですが。

 

 想えば私は、初期伊万里とゆう言葉が使われ出した頃から焼物の世界に深入りしたのです。平凡社の『陶器全集』、小山富士夫監修、初版昭和35年、全30巻の第22巻に水町和三郎の「初期伊万里」がありました。同じ平凡社、昭和48年刊の『陶磁大系』全48巻には初期伊万里の巻は無くなり第19巻伊万里となり著者も永竹威となっています。昭和40年・50年代の初期伊万里ブームは多くの熱烈な愛好家を育成したのです。古九谷が有田製であると多くの愛好家が納得したのもこの頃のことです。山下朔郎先生のお宅に伺って熱の籠ったお話を聞いたのもこの頃のことでした。

 私はと言うと高価な完品・名品はあまり買えませんでしたが、参考品や陶片はずい分の量が集まってきました。九州の陶友に会い、古窯跡に立つのは大きな楽しみでありました。「作る方から言うと、完品より陶片の方がありがたいんや。胎土や釉薬の厚さ、いろんな焼けぐあい等々、陶片でないとわからへんこともようけあるしなあ」と言っては笑われたものです。先日も当時作った初期伊万里模しの大平鉢を久々に見せてもらい、ようこんなもん作ったもんやなあと感心している始末です。

 

加藤静允(かとうきよのぶ)

京都生まれの小児科医。鮎を釣り、書画を好み、陶芸をたのしむ。すべて「ソレデイイノダ」が最近の口ぐせ。細石は少年のころ井伏鱒二にあたえられた釣人の号。


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