泥遊び 筆遊び|加藤静允


7|黄瀬戸のこと


 

黄瀬戸小服茶碗 加藤静允 作

 ちょっと鉄分(Fe2O3)のある灰釉を掛けて酸化炎で焼いたら黄色になるんやわな。還元炎で焼いたら青磁みたいな青い色になるんやで。焼物の初心者には陶片の実物を見せてあげるのが一番ですね。

 長石と土灰合せの釉薬は鉄の含有%と還元の度合いにより青白色に美しく溶けるのから黄色くカサカサのまで色々、酸化炎中ではやや溶けにくくもなるのです。

 狭義の黄瀬戸はやはりお茶道具に関係するもののようです。

 今は60余年の昔、同級生のF君と二人、初めて中央線「土岐津」の駅前に立った時のことを不思議なほど鮮明に憶えているのです。バスの撥ねた泥の附いた小さな見世窓(ショーウインドウ)に林景正作の黄瀬戸の茶碗が只一個、しっかりと置かれていたのです。

 「これから訪ねるのは加藤景秋さんで志野や。これはお兄さんの景正さんや。志野はだいぶ勉強してきたけど、黄瀬戸はまだ唐九郎さんの本も読んでへんしなあ。せやけど端正でなかなか力のあるもんやなあ」と二人で話し合ったのです。でもその後は景秋さんのお人柄に魅かれて、薮陰のお屋敷に通うようになり黄瀬戸は遠のいていたのです。

 その後いつの頃か黄瀬戸に魅せられて数年間、さかんに作っていた時がありました。酸化の窯は焚かなくてもいいので楽ですしね。でも時には登窯を想って少しは煙を入れてみようと、中性炎ではと、やってみたのですが多くは大失敗でした。とんでもなく汚くよごれたものになるのです。

 またここでも釉裏紅の時と同様に銅・Cuの女神様と遊ぶ機会を得たのですが、その気分屋さんの性格にはずい分と痛い目にあわされました。こっちが勝手にそう思っているだけなんですけどね。

 本来、黄瀬戸の茶碗というものはありません。皆んな向付なんです。一碗だけ志野のボデイに灰釉かけて黄瀬戸風に出来た「朝比奈」がありますが、これはたまたまの特異な物でしょう。

 ともかく、ヤッシヤッシと黄瀬戸の茶碗一窯焼いて、「アカン、コラドウニモナラン」と困っていたら「コリヤ使エルヨ。センセイ、全部モラッテイッテモイイカネ」ときれいに片付けてもらったこともありました。

 黄瀬戸の銅鑼鉢に惚れ込んで、そればっかり焼いていたこともありました。大根、花唐草文、鉄と銅を点じて。

 その時、M美術館の大根の銅鑼鉢がどうしても手に取って見たかったのです。Yの兄さんにたのみ込んだら、お茶会に来たら見せたげるて言うてはるで……と言われたのですが、そんな狭い暗い所で見せてもろても……と。

 世の中生々流転不思議な縁で京都に来た重文・黄瀬戸大根図の銅鑼鉢を明るい所で、しっかり手に取って、十分にゆっくりと、拝見することが出来たのです。今までガラス越しで見ていて「ナンヤ、カサカサヤンカ、ナマヤケヤナ」と言うものではなくて、しっかりと焼けていて、釉もちゃんと溶けていて、ウーン、サスガーと言うものでした。この雰囲気を模した向付五客がたまたま家に残っています。

 

 ここに出ている写真の小服茶碗は綺麗に、普通に、出来ただけのものです。「灘波」の模しも、抜けタンパンにしたものもあったのですが……。

 ともあれ黄瀬戸の高台の削り、あの固い鋭い削り、出来るようで出来ませんねえ。土のせいでしょうか。削り鉋のせいでしょうか。いや、作り手の食べ物のせいでしょう。

 

加藤静允(かとうきよのぶ)

京都生まれの小児科医。鮎を釣り、書画を好み、陶芸をたのしむ。すべて「ソレデイイノダ」が最近の口ぐせ。細石は少年のころ井伏鱒二にあたえられた釣人の号。