泥遊び 筆遊び|加藤静允


8|渓流水中の魚たち


 

加藤静允 作

 水中メガネというものを買ってもらい、高野川で水中の情景を初めて見たのは何時の頃だったのでしょうか。いくら想い出そうとしてもあの驚嘆すべき水中の景色のみが眼前に蘇ってきて、何歳頃だったかがどうしても憶い出せないのです。中学生の3年間の夏は毎日川へ行っていたと憶います。投網の練習をしてほぼ思うように打てるようになったのもこの頃でした。現在とちがい絹糸の六畳の投網は手入れが大変でした。目の破れをつくろい、時々柿シブをして干し、白いズボンに柿シブをつけて叱られた記憶があります。

 現在、8割は殺されてしまった高野川も当時は清冽で健在でした。太い瀬の黒い石には大きなよい鮎が付いていたのです。昼すぎになると子供達で賑わう水泳場は八瀬真黒の大石中石が散在し、流れのゆるくなった所には音羽川から流れ出てくる比叡山の白砂が貯ってきれいな砂床を作っていました。そこはシマドジョウや大きなカマツカのいる場所だったのです。ドウセ(動瀬)が深みに入るところは、白泡が舞う中、特に美しく楽しくドキドキする情景が見られたのです。

 最近はテレビの映像でよくもまあこれだけのものを撮って来たもんやなあと三嘆はするのですが、やっぱり自分の身体が水につかってないと、魚の姿・生きものの感じというものは伝わらないものですね。

 魚の絵を見て「ウン描ケテル」というものはあまりありません。たいていは本草図譜か動物図鑑ですね。若冲の魚の絵を見ても「ナンヤ、死ンダ魚ミテ描イテルヤンカ」とつい口に出して、囲りから白い目で見られたりします。鮎の絵で有名な小泉斐(あやる)という画家がいます。よほど人気があったのか、ニセモノも含めてずい分沢山の作品を見ます。たいていは群アユを描き一尾が飛び跳ねるお定まりの図が多いようです。渓流のアユしか知らない私にはフーンこんな群アユもいるんか、としか言いようがありません。

 偶々小泉斐のお師匠さんの島崎雲圃の肖像画に皿の上に載せた30匁もあろうかと思われる立派なアユを写生しておられるのを見つけ、アアヤッパリと納得したことがありました。

 宋元画にみる魚、時にギョッとして、「ウン生キテル、コノ顔ヤ、コノ胴体とヒレとシッポや!」と思わず声に出してしまうことがあります。一瞬の「気」をみごとに描き出しているのを見て感嘆するのです。当時は水中メガネなんて無かったでしょうに。鯉や鮒とちがって、渓流の中を矢の如くに泳ぐアユやハヤやウグイや……、形ではないのです。あの雰囲気、あのイノチの一瞬の輝き姿を描きたい……。目つきで? 口のあけ方で? 胴のよじり方で? 鰭のはね方で?

 

染付で魚を作るとき、魚を描くとき、水中メガネをかけて、魚を追った時の、彼等の表情と姿態とが次々と想い現れて来るのですが……。

 できたものはこの程度です。毎回窯出しの時、ウーン、アカン、デキテヘンナア。と同じことをくり返しています。しばらくすると今度こそはきっとできると思うようになるのが不思議ですね。

 

加藤静允(かとうきよのぶ)

京都生まれの小児科医。鮎を釣り、書画を好み、陶芸をたのしむ。すべて「ソレデイイノダ」が最近の口ぐせ。細石は少年のころ井伏鱒二にあたえられた釣人の号。


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