relay essay|連閏記


2|カメの甲羅とヘッケル

倉谷 滋(進化形態学者)


 

昔からカメにはだいぶお世話になっている。最初に書いた論文がアカウミガメCaretta carettaの発生についてのものだったし、学位もカメで取った。就職の際のプレゼンテーションもカメに関する研究プロポーザルなら、いまの研究テーマのひとつもカメの進化なのだから、見ようによっては私の人生カメづくしだ。思えば、研究の何たるかがおぼろげながらわかったのも、スッポンモドキCarettochelys insculptaという珍しいカメを解剖しているときのことだった。

この標本は、いま早稲田にいる平山廉さんに貸して頂いたもので、二人で相談のうえアゴの筋肉を調べようということになり、スケッチしている最中に、参考にしていた論文の解剖学名称に間違いを発見したのだ。素直に考えれば、スッポンとスッポンモドキだけが持つ筋肉など、そうそうあっていいわけがない。同じカメなら、みなカメのフォーマットにしたがって体が作られている。この話は研究室仲間にはだいぶ受けがよかったのだが、残念ながら今に至るまで論文になってはいない。そのことがいまでも引っかかっている。

 

筆者によるスッポンモドキの解剖スケッチ。
トップ画像は、ヘッケル『自然創造史』より「カメとニワトリの胚」

そんな風に私を育ててくれたありがたい動物なのだが、じつは私はそれほどカメが好きなわけではない。決して嫌いではないが、少なくとも手放しで叫びたくなるほど好きだとは言えない。博物学的にはむしろ昆虫が好きで、個人的に付き合う相手としては猫が好きだ。しかしそれでも、カメを不思議だと思う気持ちに関しては誰にも負けないつもりでいる。それは甲羅の進化にまつわる謎についてである。が、それを解くためには、カメ以外の動物についても知らねばならない。というわけで、「動物がまんべんなく好き」というのが私の正直な気持ちで、そんな風に学究的愛情が多方面に分散しているもので、カメに対する割り当てがどうしても相対的に小さくならざるを得ず、そんなわけでいつもカメたちには申し訳なく思っているのである。

カメの甲羅は、ただ単に体の表面が堅くなったような簡単なものではない。その進化のトリックが面白くて研究を続けてきた。だから、こと研究に関する限り、私は特定の動物グループが好きというより、むしろ特定のテーマが好きなのだろう。進化形態学者というのは、しばしば比較発生学や比較解剖学という、いまでこそマイナーな分野で研究しているのだが、19 世紀後半から20 世紀前半ぐらいまでのドイツではそれが動物学の王道だった。しかしその前には、「動物学者たるもの特定の動物グループを選び、その分類から生理学から機能から、すべてを調べ尽くさなければならない。それが科学としての動物学だ」などといわれていたことがあって、ほぼそれに近い感覚が20 世紀以来の日本の大学を支配してきたように思う。私の苦手な実験至上主義とか生理学中心主義もそのなかから生まれてくる一方、形態学はほとんど息も絶え絶えといった感じだった。しかし、それではかたちの進化は分からない。

比較形態学者というのは、「目の前の動物そのものに始まる学」というより、むしろ「現象とかテーマに始まる比較の学」という、どこか抽象的というか「モノというよりコト」にこだわる側面があって、「どの動物というのではないが、とにかく肩甲骨が気になって」とか、「哺乳類の中耳がどのようにしてできたのか知りたくて」など、ちょっと一般の動物学者が聞いたら理解に苦しむような趣味を持った連中がやっていたものなのだ。逆に、どれか特定の動物が好きだという学者にはちょっと入り込めない、どことなく哲学的な世界だとも思う。いずれ、比較を始めたら、もう特定の動物だけを見ているわけにはゆかなくなる。

 

ヘッケルによる博物図版集『自然の技巧』に描かれた「放散虫」と、この図をモチーフにして設計されたパリ万国博覧会(1900)のコンコルド門

比較によって浮かび上がるのが差異であり、それを時間の上に並べれば発生や進化となる。あるいは、その変化のなかでも変わることのない共通点が明らかになったりもする。差異の方はちょっと難しいが、共通点ならば何となく由来が古いものだろう、一般的なものなのだろう、さぞかし重要なのだろうと察しが付く。

動物の比較や胚の比較をさんざんやったら、今度は進化と発生を比べたくなるのが形態学者の人情というもの。進化という考えがまだなかった頃は、下等動物から高等動物へ到る序列、つまり「自然の階梯」を発生過程と比べたり、あるいは、フォン=ベーアという学者がしたように動物の分類体系に見る階層性(脊椎動物のなかの哺乳類、のなかの霊長類、のなかのヒト科、のなかのヒト属、のなかのヒト、というような序列)を発生段階と比べたりしていた。19 世紀後半に「発生は進化を繰り返す」という「生物発生原則」を打ち立て物議を醸したドイツのエルンスト・ヘッケルという凄まじい学者は、ダーウィンの影響をモロに受け、ついに発生過程を系統進化過程と比べることによって、生物の世界の全体を定式化しようとした。

私にとってカメの研究を始めたのはおそらく偶然だったのだろうが、この学者に行き着いたのは必然であったような気がする。最近、ヘッケルが気になって仕方がない。決して彼のいう「原則」が正しいとは思わないが、さりとて否定しきれないところが奥深い。何故と言って、カメの甲羅の発生が、カメの進化の道のりをまさに繰り返しているのだから……。