relay essay|連閏記


19|猪と暮らす

内澤旬子(文筆家)


 

うちにはゴン子という猪がいる。気がついたら5歳を越していて、ギョッとするほど大きく育った。鼻先から尾骨まで1メートル以上ある。体重は70キロくらいだろうか。
私は十年ほど前に豚を実際に飼って育てて肉として食べるまでの体験ルポを書いた。その流れで小豆島に移住してからは狩猟免許を取得し、猪と鹿の小さな食肉解体施設を作り、自分の手で獣肉の解体、精肉作業を行っている。趣味のような場所だが保健所から販売許可も得ている。
ゴン子はビニールハウスに入り込んでいるところを捕まえられ、生きたまま連れてこられた。成猫くらいの大きさで、縞模様が消えたばかりの頃合い。本来ならば肉にしてレストランに送るはずだったのだが、私が東京に出張する前日の夕方に来たために、ちょっと置いておこうかということになり、檻に入れて、解体を一緒にやっている某さんに出張中の世話をお願いした。
私が東京から帰ってきたら、某さんが肉にするのはかわいそうだと言いはじめた。まだ鼻をゴンゴンと檻にぶつけて抵抗しているが、与えたフルーツなどはもりもり食べている。情が移るのも無理もない。仕方ない。猪の生態を知るには飼ってみるのも一興か。何より野生動物なのだから、飼ってもすぐに死んでしまうかもしれないし。あまり気乗りしないまま飼い始めたのだが、すぐに懐いてきて、撫でてちょうだいとお腹を見せて寝そべる姿にメロメロになった。
ただしそこは野生動物。撫でたり触ったりはすぐにさせてくれるようになったのだが、抱きあげると泣き叫んで嫌がる。4本の足が地面についていないとどうしても不安になるらしい。首輪をつけて散歩できないかと何度も試みたが怖がり、外に出るだけでビビリ、引き綱をどうしても覚えてくれなかった。引き綱を覚えてくれる猪もいるというから、ゴン子が特別怖がりなのかもしれない。
ゴン子が外に出るのが怖いのなら、私が檻の中に入って慣らそうと、檻を大きく改築し、毎日中に入って遊んでいるうちに、膝の上に上半身を預けて気持ちよさそうに寝てくれるようにはなった。おすわりも覚えてくれた。怖がりは治らないままで、遊んでいる時に見知らぬお客さんが来ると、私の後ろに隠れる。つまり私にだけ甘えてくれるようになったのだ。気難しい野生動物が自分にだけ気を許してくれると思うと、嬉しかった。
しかしそんな甘い日々は、ゴン子が大きく育つと同時に崩壊してゆく。ある日私が中に入ってゴン子を撫でていると、急に起き上がり猛って鼻パンチをしてきた。甘えて鼻を寄せてくるのとはまるで違う動きだ。ふざけているようにも見えるが、遊びのレベルを超えて、ものすごく痛い。
暴力でやり返そうとしても、より酷く猛り狂う。小さかった頃はなんとか力で抑え込むこともできたが、明らかにゴン子の方が力が強くなってきていた。とてもではないが、敵わない。そこで動かずに丸まってみると、ふっとおさまった。まるで正気に戻ったかのようにぼやっとしている。これ幸いと外に逃げ出した。足には丸い鼻の形の青あざがいくつもできていた。
ゴン子が攻撃的になるきっかけは何か。色々考え、観察してみたのだがまるでわからない。寝そべって気持ちよさそうに撫でてもらっていても突然飛び起きて鼻パンチをしてくる。本気で殺しにくるというわけではないけれど、私のことをいたぶってやろうというとても不穏な顔つきになる。あれだけ可愛らしく甘えてくれるのに、なぜ襲ってくるのか。この得体の知れなさが野生というものなのだろうか。
どうやら猪は、子どもの時にどんなに懐いていても、大きくなると言うことを聞かなくなるらしい。猟師の先輩から聞き、似たような体験をした人が少なからずいることを知った。その話、飼う前に知りたかった。ただし例外もあって、穏やかに懐いたまま老いていった猪もいる。馬やロバのように数千年単位でおとなしい性質の個体を掛け合わせて家畜として飼っていても、たまにとんでもない暴れん坊が生まれる。その逆版で、用心深く怖がりな猪の中にもごくたまには穏やかで優しい個体もいるということなんだろうか。
だんだんと中に入って遊ぶ時間は少なくなって、ゴン子との触れ合いは檻越しに撫でるのがメインとなった。檻越しにご飯や果物の皮などを見せると、嬉しそうに鼻息荒く大きな口を開ける。名を呼べばグウと優しげに唸るし、おすわりもしてくれる。
どうしても中に入らねばならないときは、餌をあげて注意をそらせながら中に入る。それでも猛ってきたら目の前に木製の盾を置くようにした。視線を遮られるのが苦手なようで怯んで襲ってこなくなる。
もちろん中に入ったからと言っていつも襲いかかってくるわけではない。大鋸屑や枯れ草をどっさり中に入れると大喜びで鼻でほじくり回し、それに飽きると私に向かって撫でてくれとこてんとお腹を見せて寝そべってくる時もある。
ヨシヨシとお腹をさすってやると気持ちよさそうに目を細めている。巨大な腹には泥だらけの硬い毛がゴワゴワと生えているけれど、やっぱり可愛い。可愛いけれど、いつ立ち上がってグワッと襲ってくるのかわからないので、ゴン子の気が変わらないうちに早めに切り上げて、サッと外に出る。なんとも緊張感のある関係だ。
そこまでして飼い続ける意味はあるのかと問われると、もはやよくわからない。肉にするわけでもなく、かといって愛玩していると語るには少々獰猛が過ぎる。人類の祖先が猪を飼い慣らし、掛け合わせておとなしい豚を生み出していく過程には、きっとゴン子のように完全には馴れてくれない不遜な猪がたくさんいたんじゃないだろうか。
それでも飼いはじめたのは私たち人間なのだから、肉にしないのならば、最後まで飼い続けるしかない。飼養環境下でどう年老いて、どう死んでいくのか。きっちり見届けようと思っている。


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