relay essay|連閏記


20|思い出のマーニー ─ 想像上の仲間

河合俊雄(心理学者)


 

 ジョーン・G・ロビンソン作『思い出のマーニー』はスタジオジブリから映画化もされて多くの感動を呼んだように、すばらしい作品である。幼いころに両親を事故で失い、引き取ってくれた祖母も間もなく亡くなってしまった少女アンナは、養い親とロンドンで暮らしていたものの、誰にも心を開かず孤独に暮らしていた。喘息も患っていたアンナは転地療法のためにノーフォークの養い親の知り合いの夫婦のところを訪れ、そこでアンナは海辺の「しめっち屋敷」に住む不思議な少女マーニーに巡り会う。二人で友情をはぐくんでいくことを通じてアンナは次第にこころを開いていき、癒やされていく。徐々にマーニーは現実に存在する少女ではなくて、アンナの想像の世界のなかの人物であることが物語のなかで明らかになっていき、最後にマーニーは去って行ってしまう。アンナにとってはこころの痛手となる別れであったけれども、それと入れ替わるように、アンナは「しめっち屋敷」に引っ越してきた一家の5人の子どもたちと、特に自分と同世代のプリシラと親しくなっていく。マーニーとは屋敷の裏側の船着場で会っていたのに、今度は表通りの玄関から同じ家に住む子どもたちを訪れるようになって、想像の世界と現実の対比が物語の前半と後半、そして空間的に家の裏と表というようにうまく構成されているのが印象的である。さらにマーニーは自分の祖母の化身のようであったことも明らかになって、アンナ個人の癒しを超える許しと鎮魂の物語の次元が現れてきて見事なのだけれども、ここで焦点を当てたいのは、マーニーがアンナの想像のなかの存在であったように、心理学で「イマジナリーコンパニオン」、想像上の仲間と呼ばれる現象である。
 子どもの成長において、思春期やそこでの異性との出会いが一番注目されがちであるが、その前の10歳くらいの前思春期の時期が心理学的に非常に重要で、その際に自意識が確立され、同性の親しい友人、いわゆるチャムとの関係が生まれてくる。大きな転機であるだけに子どもが危機を迎えることがあり、それをうまく乗り越えることができずに混乱した子どもがプレイセラピーという形での心理療法を受けるようになったり、また大人になってから何らかの問題や悩みで心理療法を受けに来た人が、実は10歳の頃の課題をうまく乗り越えることができていなかったのがわかったりすることは多いように思われる。自意識とは他者の視点から自分を見ることであり、自分と自分の関係が生まれてくることであるので、自意識の確立と自分のコピーのような親しい友人ができることは密接に関わっている。
 ところがチャムは現実の親友に限らず、『思い出のマーニー』の場合のように想像上の友人(イマジナリーコンパニオン)であることも実際にしばしば見られる。児童文学は今江祥智作の『ぼんぼん』など、この10歳の時期を描いている名作が多いが、ストー作の『マリアンヌの夢』も10歳の時期の病気で寝ている少女の世界を描いていて、そこにはイマジナリーコンパニオンが少年として登場する。チャムは同性の親友であるのが元々の形であるけれども、このように異性であることもあって、『1Q84』における青豆と天吾の10歳の出会いも同じようなチャム的な異性であったと考えられる。
 今のネット社会において、現実と想像の世界の境界が曖昧になるなかで、想像上の友人の重要さはこれまで以上になってきているように感じられる。仮想と現実を行き来することや仮想の世界自体の意味が強まり、ヴァーチャルでのつながりやコミュニケーションが生活の中で占める比重が増していくなかで、イマジナリーコンパニオンはこれまで以上に重要になってきている。それがヴァーチャルのままにとどまるか、『思い出のマーニー』のように現実との接点や転換が生まれてくるかも大切なポイントであろう。
 昨年11月26日に闘病のかいなく63歳であの世に召されていった弟の河合幹雄が大学生のころに私に教えてくれたことだが、彼には子どものころに想像上の姉妹がいたという。実際は男三人兄弟で育ったのであるが、大学で自然人類学を学び、後に法社会学を専門としたように文化人類学にも詳しかった幹雄に言わせると、元々の大家族というあり方からすると必ず姉妹にあたるような人が存在するはずで、男だけの兄弟からなる家族というのはありえないという。幹雄がその想像上の姉妹とどのような豊かな関係を持ったのか、今となっては知るよしもないが、アンナがマーニーという想像上の友人との豊かな関係をベースにして、そこから別れて現実での友人を見いだしていったように、きっとそれは現実での女性との関係にもつながっていったのであろう。そして今や想像上の存在となってしまった幹雄も私のこころのなかで生き続けているのかもしれない。

 

Joan G. Robinson『When Marnie Was There(思い出のマーニー)』初版本表紙