relay essay|連閏記
29|Ah, but I was so much older then, I’m younger than that now
杉山恒太郎(クリエイティブディレクター)
歳を重ねることは、これ意外と面白い(やや虚勢はっちゃってるけどね)。例えばだ。
誰もが知ってる吉田兼好の徒然草の序文「つれづれなるままに、日暮らし硯に向かひて心にうつりゆく由(よし)なしごとを、そこはかとなく書き付くれば、あやしうこそもの狂ほしけれ」。この一文、前半はそこはかとなく気分が伝わるもののこの最後の「あやしうこそもの狂ほしけれ」についての現代語訳は定まっていないという。それもそのはず、これ、若い子にはまず理解し難い老境の静謐感から生まれる感情の昂りだから。謂わば老人のアナーキズム(老人の透明感とも)、この歳になると作者の気持ちをそのまま追体験、ハッとそのことに気付き抑えきれず僕はこの箇所で必ずどっと笑いが込み上げ吹き出してしまう。これを前頭葉が歳で萎縮して感情が制御出来なくなったんじゃないの! と夢のない話をしてはいけない。
話は一転。僕はこの一年近く大阪のFM COCOLOで毎週日曜夜10時から放送の超マニアックな音楽番組〝ラジオシャングリラ〟で音楽プロデューサー立川直樹のお相手をしている。
彼とは50年来の盟友、ピエール・バルーなど数々の名盤をプロデュース、また伊丹映画や台湾のホウ・シャオ・センのフィルム・スコアーリング(映画音楽など映像に音楽を付けること)の達人として世界的にも評価の高い人でもある。こんなミック(立川直樹)が収録中にこんなことを時に呟くのだ。「こうちゃん、ボク、昔より耳がよくなってるし、理解も深まってるし、成長してる! と思う」と。これまでどれだけ膨大な音楽を聴き込んできた75の彼の口から未だ「成長してる」の一言に飛び上がるほど嬉しくなってしまう僕がいる。人は幾つになっても自分が成長している実感が持てるほどシアワセなことを他に知らない。
人は歳を重ねる度に自らを一つ一つ自由にさせていく、その先にこの「あやしうこそもの狂ほしけれ」という老人だけが味わえる(申し訳ないが)アナーキズムという洗練が待っている。
さてさて、ティモシー・シャラメ主演の若き頃のボブ・ディランを描いた映画「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」の公開がいと待ち遠しい。いつの間にかノーベル文学賞は小説家に与えられるものと勝手に思われていたものをディランが受賞することで覆し、ノーベル賞自らも独自の価値を保った。musician’s musician(ミュージシャンに愛されているミュージシャン)の筆頭でもある彼の曲の中でも最もカヴァーされ僕自身も最も大好きな名曲、MY BACK PAGEの紹介をして今回の小文を終えたいと思う。
My Back Pages/マイ・バック・ページ
Ah, but I was so much older then, I’m younger than that now
あぁ、あの頃のぼくよりも、今の方がずっと若いね
若い時はあれほど突がって突っぱっていたような気がしてたが、今思えば他人の目を気にしたりおもねったりしていたかも。歳を重ねた今は余裕もできて自分からも自由になって、よっぽど今のぼくの方が若々しいと思う! この曲の大意はこんなだ。これこそ僕がここで言う「あやしうこそもの狂ほしけれ」の心境なのだ。
「名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN」公式ホームページ▷https://www.searchlightpictures.jp/movies/acompleteunknown
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