relay essay|連閏記


37|ブルー・リンゴ、ブルー・シンゴー──青の不思議

ヤーン・フォルネル(翻訳家)


 

外国人として日本語を勉強し始めると、そのうち「いろ」の言葉も登場する。英語版の教科書なら、「あか(い)」=red、「くろ(い)」=black、「しろ(い)」=white、「あお(い)」=blue、「みどり」=green のような感じで。ほかのヨーロッパの言語の教科書も同じ調子で、日本の子供も基本的に同じ色(+α)を覚える[1]。しかし、もう少し勉強すると、決してブルーのはずのない「青い」ものがどんどんでてくる。キュウリ、青っぱな。そしてブルーのリンゴ? ブルーの信号?? いったいどういうこと?
日本人に聞いたら、「うんん……昔は緑も青に含まれていた」のような答えが出たりするが、実はそんな簡単な話ではない。全然。

[1] 日本の子供が覚える色。英語では独立した色として認識されていない「みずいろ」や「きみどり」も。(『タッチペンで音が聞ける! はじめてずかん1000 英語つき』小学館、 2020)

まず、言語は進化するものだ。日本語も色の言葉も例外ではない。日本語の明治以降、特に戦後の変化は凄まじい。たった50年前の色名は今のとかなり違う。橙色や桃色はオレンジとピンクに変わったり、肌色がタブーになったり、水色は青と区別されて独立した色として認識されるようになったのだ。また、カタカナの色名が非常に増えて、統計を見るとグレイやブラウンは灰色や茶色よりも普通になってきたのだ。そして、青のように色の範囲が変わったり、中心的な色合いがずれたりすることもある。
これは決して日本語に限った話ではない。例えば僕の母国語であるスウェーデン語では、子供のころに使われていたオレンジやピンクに当たる言葉はもう完全に死語になってしまった。紫に当たる言葉は三つもあったが、200年前は紫のものには現在の茶色に当たる言葉が使われていた。英語の blue は12世紀のフランス語からの外来語だが、そのインドヨーロッパ祖語の語根のbhle-はブルー以外にも明るい色、金髪、黄色や輝く白、つまり明るい色彩全体を意味していた。それがフランス語にはblanc (白)にも、ゲルマン系の言語には blå (もともとブルーを含む黒、今はブルーだけ)になった。北欧のヴァイキングたちはアフリカのことを Blåland、そこに住んでいる人を blåmän と呼んだが、もちろん「青い国の青い人々」なわけではなかった。昔の色は複雑だ。

古代の日本には四つの色しかなかったそうだ:アカ、シロ、クロとアヲ。その「アヲ」は青紫から黄緑までの幅が広くて、一部の灰色も含まれていて、ようするに「赤、白、黒以外」の色だった。そのあいまいな意味はいろんなところに案外残っているんじゃないかと思う。古墳時代には漢字とともに「黄色」の概念と五行の思想が大陸から伝わってきた。五行思想には青は「木」や「春」に当たる色で、その中核はブルーではなくて、グリーンにあったのだ。そのことは少なくとも中世まで続いていた。
ブルーを表すには「縹」(はなだ)という言葉があった。縹色は藍染めのブルーで、ツユクサという花の色でもあるから「花田」とも表記された。きれいな色で、英訳の「サファイヤ・ブルー」も納得できる。飛鳥時代から明治までずっと使われていたが、なぜか20世紀初めごろに死語になってしまった。「瑠璃色」も昔から使われているブルーの言葉で、宝石のラピスラズリの色だから時代によって変わったりはしていない。
問題はむしろ「みどり」のほうかもしれない。「みどり」も古い言葉で、飛鳥時代から使われているが、もともとどんな色をさしていたのかははっきりしていない。諸説あるが、平安時代の和歌に出てくる「みどりの空」のような言い回しを考えると、少なくとも現在の「緑」の意味ではなかったことは確かだ。緑は平安の朝廷の六位の抱の色だったが、源氏物語には「浅葱」とも呼ばれている。でも浅葱は「浅い瑠璃色」、「浅い縹色」だったので、ブルー系だった。とすると、浅葱は緑の別名だったなら、緑もやはりブルー系だったのか。面白いね。むしろ、その範囲にはグリーンがどこまで含まれたかが不明だ。だれよりも色に敏感な清少納言は緑のはずの六位の色を「あをいろ」と呼んでいて、『枕草子』の英訳の解説には「みどり」が「ブルーグリーンから深いブルーのあいまいな色」と定義されている。
しかし、資料を読めば読むほど、昔の色の感覚そのものが全然違っていたような気がする。今のような16進コードやパントンカラーでピンポイントできる色相とは縁がなくて、むしろレシピのようなものだったのではないか、と。そしてレシピに従って料理やケーキを作ってみたみなさんがわかるように、結果は作り手や材料の質やその日の気候などによって多少違うのだ。『日本の色辞典』(紫紅社、2004)には吉岡幸雄さんが平安中期の『延喜式』のそういったレシピで「深い緑色」を再現してみたが、結果は今の感覚で「グリーン」と呼ぶのには明らかにブルーすぎる。どちらかというと、今の「グリーン」にあたるのは同書の「松葉色」だ。

六位の色だったとはいえ、みどりはいつもマイナーな色だったような気がする。森、木、葉、草はみんな青だったし、そして今でもそうだ。バッタや青虫やオオミズアオも、青野菜も、自然のものはほとんど青だ。唯一の目立った例外は「緑茶」だが、緑茶は江戸時代の発明だ。緑は「新芽。特に、松の新芽」の意味もあるが、その新芽の色もやはり青だ。青山や青森のように「青」を含む地名も多いのに対して、「緑」を含む地名が少ないし、最近のニュータウン的な名前だ。たとえば東京都の緑ヶ丘や横浜市の緑区は昭和からだ。

「緑」=「グリーン」、「青」=「ブルー」ということが初めて日本の教科書に登場したのは戦後だったそうだが、「緑」=「グリーン」といっても、「グリーン」=「緑」いうわけでは今でもない。自然の中の数え切れない「青い」ものは青のままだし、「グリーン・アップル」の青リンゴはもちろんブルーではないが、「緑色」でもない。「黄緑」だ。英語には名前のない色なのだ。

そんなわけで、大昔の言葉だけではなくて、たった数十年前の色の言葉の翻訳も難しい。紙の辞書は常に数十年間時代遅れだし、逆に今はやっている「AI」は最近のデータを中心に訓練されていて、どうどうと出鱈目を吐き出してしまう。

[2] 甲斐荘楠音:「青衣の女」 (1919、京都市美術館)

おととし、大正時代の画家の甲斐荘楠音の展覧会を訪れた。中には、「青衣の女」という大正8年の屏風の作品があったが、英語のキャプションには “Woman in Blue”と書いてあった[2]。しかし、絵の女性の着物はグリーンだ。機械翻訳か、翻訳者が実際の絵を見なかったかわからないが、こういったミスが珍しくない。
でもいちばん厄介なのはやはり「青信号」のことだろう。世界初の三色(赤、黄、グリーン)の信号機は1920年のデトロイトに設置されて、日本初は1930年、東京の日比谷交差点に設置された。実は、当時の法令に「緑信号」と書かれたが、そのイベントを報道した新聞に「青信号」と呼ばれて、そっちのほうが定着した。1947年、法令の文も「青信号」に変えられた。つまり、戦後でも、その色は「青い」と認識されていたのだ。1973年にさらにひねりを入れて、日本の青信号の色度を国際照明委員会(CIE)が認める範囲の中のもっともブルーに近い色に定めた。つまり、ほかの国とはちょっと違う色だ。まるで、「青というなら、ブルーでなきゃ」。極まりは昨年の長野県の写真のサファイヤ・ブルーの青信号[3]。決めた人が色覚異常だったかどうかわからないが、本当に通じると思い込んでいたのだろうか。戸惑って、事故にあった人がいないといいんだけど……。

[3] 長野県の青信号(2024)


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