relay essay|連閏記



40|AI知ったかぶり

富永夏子(フォトグラファー)


 

この「閏」の冒頭に、「閏は余分、閏は余白、閏は余情。とりとめもなく、あてどもなく、割り切れないものに心を寄せて」とある。

うう、正直、よくわからない……。

AIに聞いてみたら、「きちんと整理できないことや、はっきりしないものにも心を向けて大事にしよう」ということらしく、ざっくり一言でいうと、「無駄や余りの中にも、豊かさや美しさがある」ということだそうだ。

ふむ。AIを全面的に信頼しているわけではないが、わかりやすく説明してくれて感謝。すごく素敵なコンセプトではないか。これ、AIで調べなかったら私の脳みそでは噛み砕けなかった。やっぱりAIはすごい。

実は、こういうことって日常によくあることなのではないだろうか。
例えば、誰かと楽しい会話で盛り上がっている時に、ふと相手が発した自分には耳慣れない言葉や、難しい言い回しに対して、その場の雰囲気を壊さないように、わかったふりをすること。または、無知だと思われたくなくて、知ったかぶっちゃうこと。それで乗り切れる時もあるだろうが、相手が何を伝えたかったか、を取りこぼしていることにもなるんじゃないだろうか。相手をより深く知るチャンスを逃しているのではないだろうか。だとすると残念かもしれない。

そういう時に頭の中にAIがあれば、瞬時に相手の言いたいことを取りこぼすことがなくなるんだろうなあと。今から何百年後かにはそういうことが現実になっているかもしれない。

いや、待てよ。さっき自分でも書いた通り、私はAIを全面的に信頼しているわけではない。そしたら、頭の中の「信頼できないもの」が、瞬時にわからないことを教えてくれたら、私の頭の中はどうなってしまうのだろうか。
結局は、わかったふりと、知ったかぶるのと変わらないのではないか。
実は私自身よくあるのである。友人と話していて、意味がわからない言葉が多々出てくるのだ。最初それどういう意味? と聞くのだが、それが増えてくると、この人(私)にはもっと簡単な言い回しをしないと伝わらないな、と、一回口から出た難しい言葉を咄嗟にわかりやすく言い直されたりするのだ。
それって意外に凹む。

そもそも、弾んでいる会話の腰を折ってまでも、わからないところは全て確認した方がいいのか、その場の雰囲気で乗り切ってしまった方がいいのか。
相手によって、状況によって、自分なりにうまくやっていくしかないんだろうな、というのが今の自分の中での落とし所。
AIに聞いたら、良い方法教えてくれるかもしれないな。

……これって、とりとめもなく、あてどもなく、割り切れないものなのかなあ。


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