relay essay|連閏記



41|大河の「間」から

佐倉 統(科学技術史)


 

 ここのところ、過去に放映された NHK の大河ドラマを、ネットであれこれ見ている。もとより大河の良き視聴者ではなく、リアルタイムで見たものは片手で数えられるぐらい。だが、NHK が日本の歴史をどのように解釈し、描いているか、少し様子を知っておきたくなった。今までで9作品を見終えたところ。
 大河ドラマはテレビの地上波では毎週日曜日に放映しているが、ネットで立て続けに「一気見」をしていると、週1回のペースで見るのとは違う景色が見えてくる。たとえば、登場人物の性格や人生観が前触れもなく急変して、しばしば戸惑う。前回まであんなにまともなことを言っていた人が、なんで急に闇落ちしちゃったんだ?とか。しかし、視聴の「間」が一週間空いていれば、この唐突感も減少して、あまり気にならずにそのまま見続けていたかもしれない。
 逆に、「間」が小さくなったことで浮かび上がってくる構造もある。同じ人物でも、番組によって描き方がずいぶん異なる。あるいは、後発の番組が、同じエピソードを扱った過去の番組を明らかに意識している。あるいは、それぞれの番組が放映された時の時代背景がほのかに透けて見えてくる。
 大河ドラマの熱心な視聴者であれば、こんなことはたとえ間隔が一週間あいていようと、何十年前のドラマだろうと、しっかり記憶あるいは記録していて、把握しているのだろう。
 だがそれは決して容易な作業ではない。ぼくのような、熱意の高くない視聴者が1週間に1回、1年に1作のペースでのんべんだらりんと見ていても、ひとつの番組の全体の構造や世界観を直観的に把握するのは難しい。ましてそれを何年も前の作品の世界観と比較しようとしても、忘却の霧の向こうから印象の断片を無理やりひきずり出すことしかできない。
 けれど、ネットで集中的に見ているると、なにも意識せずに、ぼーっと眺めているだけでも、すぐわかる。番組の全体像や制作者の意図がぎゅっと圧縮されて提示されるため、テレビで見ていた時には見えてこない、時間を越えた番組と番組の関係が、立ちのぼってくる。
 一方でこれは、テレビでは一週間あった「間」がなくなる、余白も余情もなくなる、ということでもある。それらを積極的に「なくしている」と言った方が近いだろう。はたしてこれは、「テレビで放映されたのと『同じ番組』を見ている」と言っていいのだろうか?
 昨今、「タイパ」をことさらに強調して、動画を1・5倍速や2倍速で見ることを、あたかも効率的な生活の象徴でもあるかのように、誇らしげに語る向きもある。それらに対して、風情がない、そうまでしてどうする、はては、制作者への冒瀆だ、といった批判がよせられたりもする。
 だけど、倍速視聴がいけないなら、一週間の間隔をおかずに次の回を続けて見るのもいけないのではないか。制作者の意図や工夫を無碍にしていることに変りはない。時間を節約してせわしないのも同じだ。
 そのわりには、倍速視聴に眉をひそめる声はあっても、連続視聴が悪いという意見はあまり聞かない。それどころか、ネットで連続ドラマを視聴するときには「一気見」が当然の行動様式のようにすらなっている。なぜなのか。
 そもそも、テレビ番組の「正しい」見方など、あるのだろうか。ある見方をしたことで、仮に制作者たちの意図とは違う結果をもたらされたとして、それはそれで新しい視聴のあり方だ。そこから今までにはなかった解釈や視点がもたらされることもあるかもしれない。
 インターネットに限った話ではない。AIであれロボットであれ、今までになかった技術を使って、自分の身の回りに新しい余白や間を作り出すことができる。なにもないと思っていたところに、新しい余情が立ち上がってくる。
 ある種のタイパ重視言説が批判されるのは、そこから生み出される「新たな創造」が見えにくいからだろう。節約した時間で何をするのか。どのような価値を創世することができるのか。そことの結びつきがないまま、時間を節約することそのものが目的であるかのように語られれば、それはちょっと違うのではないか、と思うのも当然だ。
 しかし、時間を効率良く使うこと自体は、悪いことではない。むしろ大事だ。しかし、もっと大事なのは、その先だ。タイパ優先はあくまでも手段。手段や方法は、それ自体で良し悪しが決まるものではない。想定している目的に応じて、どういう手段・方法が適切なのかが決まる。だから、いつでもどこでもタイパが普遍的に重要なわけではないし、逆に無意味なわけでもない。
 手段と目的を取り違えてはいけない。新しい技術によって今までできなかったことができるようになったからといって、必要でもない手段や方法をありがたがるのは、技術の奴隷の発想だ。
 その技術で何をするのか? あなたは何を成し遂げ、どこに行きたいのか? 大事なのはこっちの方だ。哲学であり、価値観だ。
 科学技術が進めば進むほど、価値観の基礎となる哲学や歴史の知識が大事になる。
 そう、今こそ人文学が不可欠なのだ。技術の奴隷にならないために。


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