relay essay|連閏記



43|僕のピノッキオ

祖父江慎(デザイナー)


 

僕はもともとピノッキオというか、人形が好きだったんです。男子と遊ぶと、「じゃあ悪者はこうするんだ」とか、「ここはこういうことにしよう」とか、ルールを決めてから遊ぶことが多いので、あまり男子と遊ぶのが好きじゃなくて、女子とばかり遊んでいたんです。特にお人形遊びが好きで、生きているように動かすとか、そういうのが好きでした。
僕も最初は、ウォルト・ディズニーさんの映画でピノッキオを知ったんです。促音のついてない「ピノキオ」ですね。とてもよく観られているので、みんなそっちのイメージが強いと思うんですけど、命があるようなないような、そのあたりに惹かれました。それで、岩波の杉浦民平訳の『ピノッキオ』を読んで、すごく面白いと思った。
『ピノッキオ』は、ちょうど「童話」というものが世の中に出始めた頃に書かれたもので、結構めちゃくちゃなお話です。作者のコローディさんは、子どもたちがもう嬉しくてしょうがないようにお話を作ろうとしておりますので、もう本当に支離滅裂なんです。ちょうどグリムっていう人が昔からのお話を集め、出版するにあたって、「いや、これは子どもの教育上良くないんじゃないか」とか言って、やばいところとか、危ないところとかを書き直したりしながら、「童話」が成立した。その狭間の時代に書かれている、物語でも童話でもない、ましてや「聖書」でもないような不思議な状態のお話っていうところが、ポイントです。だから『ピノッキオ』の話は、なかなか微妙な立ち位置を取っている。日本でも「これは童話としてどうなんだろう」ということになり、「本を回収した方がいいんじゃないか」という動きもありました。1970年代には、『ピノッキオ』を買わない運動のようなものもあった。名古屋の図書館でも、『ピノッキオ』は親の印鑑をもらわないと借りることができないっていうこともありましたね。その後も出版社が販売を自粛して、しばらく『ピノッキオ』がない時代がありました。その後、だんだんあまり問題にされなくなって、少しずつ復活していきました。めでたし、めでたしですね。
コローディさんは、「子ども新聞」に、ある操り人形の物語として『ピノッキオ』を連載しました。コローディさんは、学校の先生もやってたんですけど、なかなか子どもたちが物語を読んでくれない。で、とにかく面白く、引きつけられるお話を書こうとしたわけです。「昔々、あるところに棒が一本あったとさ」という、こういうところから始まります。そこでみんなが突っ込むわけですね。「えー、王様がいるんじゃないの?」とか。道徳とか、そういうことはあまり考えずに、「えー!」っていうお話を書いたわけです。連載の最後では、ピノッキオが木にぶら下げられて首吊りされてしまう。こういう時はだいたい、「いい人が助けに来てくれるんだろうな」とか思うんですが、誰も来ません。ピノッキオは、ウエディングベルが「リンゴン、リンゴン」と鳴るみたいに、ぶらんぶらん木に当たりながら死んでしまいました、っていうところで終わってるんですよ。まさに、今の「童話」ではあり得ないことだらけな『ピノッキオ』なんですね。
コローディさんはそれで終わらせようと思ったのですが、子どもたちが終わらせてくれない。続きを読みたいということで、続きを書くわけです。もともと、ピノッキオって、木が魂を持って動き出すっていう設定で、人形にされる前も木の状態で元気に動いている。素材が生きているっていうわけです。この生きたり死んだりで、もう大忙しなのがピノッキオなんですね。
そこで終わるはずだった話を、辻褄を合わせて続けるには、夢落ちとかいろいろあると思うのですが、『ピノッキオ』では女神落ちみたいなものがあって、その後も困ったら女神様が出てきて何とかするっていうことで話をつないでいく。
ところで、ピノッキオの木は何の木かっていう、そういう問題もあります。これは世界中で話題になっている。「ピノッキオ」の「ピノ」は松だから、松じゃないかっていう人もいるし、「いや、あれは硬い樫の木だ」とかいう人もいる。ピノッキオが吊られて死んだ木が樫の木だから、樫の木で作られているんじゃないかっていうことです。ある研究者によると、当時、どこにでもあった神聖な木、トネリコが一番いいんじゃないかという。「いいんじゃないか」っていうのも変ですけど、僕も賛成かなと思います。というのは、トネリコの木の生え方って、本当にいやらしいというか、人が地面に刺さって空に突き出た足のようで、魂が宿っているような感じもします。だから神聖な木なのかもしれないですけども。
あと、絵ですね。いろんな国で翻訳されてますが、挿絵の描き方がみんな違う。そこが面白いなと思って、大人になってからまた『ピノッキオ』にはまりました。
コローディさんは絵が描けなかったようで、そこが良かったのかもしれませんね。『ピーター・ラビット』の作者は絵が上手かったので、ピーターの絵とか描きますよね。『不思議の国のアリス』のキャロルさんも描きます。コローディさんは、絵が描けないから、絵にも描けないシーンが出てくる。だから、画家の「これをどう表現するか」っていう気分が高まるわけです。実は僕も『ピノッキオ』のイラスト描いてるんですよ。ノートにあれこれ描いてるんですが、楽しくって終わらなくって、どんどん増えちゃいました。

筆者が描き溜めたピノッキオ・ノート。30冊約6000ページにピノッキオの物語とキャラクターが描かれている。


*本稿は2026年3月に逝去された祖父江慎氏が遺したインタビューをもとに再構成したものです。祖父江氏はまた、「閏」で「ひらがな」をテーマにした連載を準備していました。