独吟独酌|御立尚資
2|桑港湾とアマローネ
桑港(サンフランシスコ)は、寒流の影響で冷涼な気候の街だ。
加州らしい陽光と青空に騙されて、うっかり外套なしで出かけると、夕刻からぐっと冷え込み、肌寒い思いをする羽目になる。
ある秋口の宵、同じ間違いをしでかして、寒さに耐えながらフェリー埠頭あたりの店々を冷やかし歩いていた時のこと。やっと見つけたクラムチャウダーのスタンドで、冷え切った身体にスープを流し込み、臓腑に温かさが広がった瞬間、この感覚は、フィービー・スノウの「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」だ、と思った。
1974年に、フィービー・スノウは、古いフォークソングのメロディをほぼ作り替え、誰にも似ていない節回しで、彼女独自の楽曲に仕立て上げた。
“An Ocean liner took him so far away”
(外航汽船が彼を連れて行ってしまった)
と始まるこの曲、基本的には別離の寂しさを歌う曲だ。
スノウは、野太い声から裏声まで駆使しつつ、別れの情感を奔出させない。
どちらかと言えば、クールに歌っていく。
曲の後半、
“If he ever comes back to stay, it’s gotta be another brand new day”
(万一彼が帰ってきてくれたら、そこから全く新しい日が始まる)
と夢想する部分がある。
「もし帰ってきたら、こんなこともあんなことも一緒にしよう」と叶わぬ夢を慈しむあたりで、淡々とした歌声の奥に温かさや喜びがほの見える。
こちらはホッとして、なんだか救われた気持ちになるのだけれど、その後、この曲の歌う風景、その寒々しさがかえって際立ってくる。
デビュー後すぐに、個性あふれるアーチストとしてスポットライトを浴びたフィービー・スノウだが、3年ほど経った頃から、ケアが必要だったお子さんの世話もあってか、音楽活動を極端に減らしてしまった。「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」はすでに鬼籍に入った彼女がその初期に残した名唱だと思う。
筆者が初めて桑港の地を踏んだのが72年、対岸のバークレーで一夏過ごしたのは確か76年だったろうか。この時には、フィービー・スノウの歌声はもう耳慣れたものだった記憶がある。
それから、随分年月が経つうちに、寒い時期に五臓六腑を温めてくれるものとして最初に思い浮かぶのは、チャウダーではなく赤ワインになった。
ごく個人的な好みだが、数ある赤ワインの中でも、「サンフランシスコ・ベイ・ブルース」を聴きながら、杯を傾けるのにぴったりなのは、イタリアはヴェネト産のアマローネ・ディ・ヴァルポリチェッラ。
中でも、名人ジュゼッペ・クインタレッリの手になるものが、フィービー・スノウに一番合う。
ヴァルポリチェッラはコルヴィーナという地ぶどうで作られる赤で、大部分は普段飲みの軽いワインだ。
このコルヴィーナを陰干しにし、糖度を上げて、さらに長めの熟成を経て出来上がるのものが、アマローネと呼ばれる。
アルコール度も高く、強い味わいなので、ワインの教科書では食後にポートのように飲むべし、と書かれていることも多い。
しかし、クインタレッリの作るものは、別格で、あくまで品が良く食事にも良く合う。しっかり した骨格を感じさせるタンニンの奥から、ほのかな甘みが時折顔を見せる。 まさに、フィービー・スノウの歌声そのものではないか。
残念ながら、クインタレッリも2012年に鬼籍に入ってしまったが、生前に彼が作ったアマローネを買い求め何本か秘匿してある。
彼のワインは、ただ焼いただけの鴨には最高だ。
塩胡椒で味付けした鴨を高めの温度で焼き、ついでにネギの白い部分を輪切りにしたものも焼いておく。
今夜もまだまだ寒そうなので、これに合わせて秘蔵の一本を開け、ゆっくりと飲み、かつ食べることにしよう。
フィービー・スノウを聴き、桑港湾に思いを馳せながら。
御立尚資(みたちたかし)
兵庫県西宮市生まれ。明治期の日本画、R&B、一癖ある醸造酒好き。現在は、京都大学大学院で教鞭をとりながら、大原美術館等NPOの理事や社外取締役を務める。
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