独吟独酌|御立尚資

5|黄水仙を贈る


 

谷川俊太郎さんの詩歌に、「二月のうた」というのがある。
(「魂のいちばんおいしいところ」サンリオ、1990年、より)

"鳥は空を飛んでゆく
魚は水に泳いでいる
私は地上でいったい
何をしているだろう"

鳥は鳥らしく、羽ばたき、空を飛ぶ。
魚は魚らしく、身をくねらせ、水中を泳ぎいく。
人である私は、空をいくことも、水の中を自由に進むこともできず、ただ地上にいる。
人らしくあるために、私はいったい何をしているのだろう。
こういう引いた眼で自分を見つめる問いかけで、この詩は始まる。
小さな声で口ずさむと、
「野のユリは、ただそこにあるだけでソロモンの栄華も及ばないほど美しい、では人は?」
という意の一節も聖書にあったな、と思い出す。

"そう
私はたとえばあなたに
花を贈ることができる
鉢植えの黄水仙を"

なるほど、これはひとつの答えだ。
鉢植え、だから、野生ではなく、自分が育てたものなのだろう。
手ずから育ててきた黄水仙の花が咲き、それをあなたに贈る。
それが、地上で人らしく、私ができること。鳥が飛び、魚が泳ぐように、とても自然に、でも自分だけができることとして。

ああ、これは愛のうたなんだ、と気づく。
なぜこれが二月のうた、なのかについても。
黄水仙は、一年のうちで最も寒い時期に花を咲かせる。
地域によっては、雪に閉ざされていたりもする季節。
その時期にこそ、あなたに贈ろうと、丹精込めてきた鉢植えの黄水仙、その明るい色がより引き立つ。
数多くの花が咲き乱れる春や夏とは鮮やかさが違い、二月であってこその、愛の行為となる。

"うす曇りのこの午後に
あなたを見つめて—
それは歴史とは何のかかわりもない事だけれど

それはまったく
それだけの事だけれど"

鳥が飛び、魚が泳ぐのと同じように、私は、愛する人に花を贈る。それは歴史に残るような大きな出来事ではなく、ささやかな行為だけれど、こういうことが人をして人たらしめること。

さて、1−2月の寒さの中でこんな歌を口ずさみむとき、どんなお酒がしっくりとくるだろう。
森や谷が静まりかえり、動物や木々の葉が姿を隠してしまっている中、数輪の黄水仙の花がもたらしてくれる明るい気分。あるいは春への期待や大袈裟でないが暖かさを秘めた深い愛情。
この対比を感じさせてくれるお酒は、異質の味わいを併せ持って、しかも余韻が長いものが良いはず。
ドライさ、クールさと上品な甘みが両立しているアマローネ、例えば以前の回でも触れたジュゼッペ・クインタレッリのものもよいのだが、色の取り合わせも考えて、シャルトリューズ・ジョーヌのV E Pにしてみよう。
17−18世紀からフランスの修道院で作られていたというシャルトリューズは、ご存じのように薬草リキュールだ。
緑(ヴェール)のものと、黄色(ジョーヌ)のものがあり、味が異なる。
黄色の方が、アルコール度が低く(といっても40度以上あるが)、蜂蜜の甘さを感じさせるが、ベタつきはしない。
これを12年以上熟成させたものが、シャルトリューズ・ジョーヌの中でもV E Pと呼ばれる。

夕暮れ時の山荘の窓から、葉を落とした木々とその間にこぼれる黄色っぽくなってきた陽光を眺める。
外気温は、あと1時間もしたら氷点下になるだろう。
脚(ステム)のついた小ぶりのワイングラスに、黄色いシャルトリューズを注ぎ、一口。
品の良い甘味とその裏側に隠れた複数のハーブを、舌の先で探してみる。
黄水仙の鉢を思い浮かべながら、外の景色とグラスに目をやってもう一口。
谷川俊太郎さんは、無駄な言葉なしに、いろんな風景を見せてくれるな、としみじみ思う。
さて、外は寒いのに、シャルトリューズのおかげで、胃の腑が温かくなってきた。
有難い。

そういえば、アラスカという名前のカクテルがあった。
シャルトリューズ・ジョーヌとドライジンで作るショートドリンク。
シンプルなレシピなので、キッチンに戻って一杯作ってみる。ジンはゴードンにする。
うん、ドライさが増して、少し暮れ始めた景色にぴったりだ。
アラスカ、というくらいだから、極寒のイメージで考案されたカクテルだろうか。
いや、北の果てに金鉱の夢を追った人たちのイメージか。

よしなしごとが次々と浮かんでくる。
鳥は飛び、魚は泳ぐ。
そして、私は無駄なことを考えながら、酒をいただく。
いかん、いかん。
人である所以を思い出して、明日は何か鉢植えを買ってみよう。
誰に贈るかは、次の一杯を飲みながら考えるとして。


 

御立尚資(みたちたかし)

兵庫県西宮市生まれ。明治期の日本画、R&B、一癖ある醸造酒好き。現在は、京都大学大学院で教鞭をとりながら、大原美術館等NPOの理事や社外取締役を務める。


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