楽の器|土取利行


9|ヒンドゥー神と「楽の器」


図1 シヴァ・ナタラージャ神

 私がピーター・ブルック劇団に参加したのは1976年、最初の作品『ユビ王』ではジャズドラムのセットのみで演奏していた。それから1978年頃にブルックが「鳥たちの会議」という作品を作り、続いて1985年のアヴィニオン国際演劇祭で上演した9時間に及ぶ大作『マハーバーラタ』を演劇化する過程において、音楽の指揮を任され、初めてインドに赴いた。ここでは素晴らしい音楽家と出会い、習った民族楽器を習得する日々が続き、やがてそれらが『マハーバーラタ』の舞台に並ぶようになっていった。こうしてブルックとの演劇制作を通して私はマルチインストルメント奏者へと移行していった。

 インドではいくつかの古典楽器を学び、音楽の理解を深めるために多くの寺院や聖地にも足を運んでゆく中で、「楽の器」が神々と深く結びついていることを知った。 
 例えば『マハーバーラタ』はインドのヒンドゥー教の聖典「バガバッドギータ」を内包する大叙事詩で、そこには神々の中心にはブラフマー(創造)シヴァ(破壊)ビシュヌ(維持)という、宇宙を成立させている三神一体(トリムルティー)の存在がある。そして注目すべきは創造神ブラフマーと一体になるシヴァ、ビシュヌは「楽の器」を手にする楽人でもあるということだ。

 まずシヴァ神は、ナタラージャ(踊りの王)として宇宙的ダンスを踊る姿で表されており、踊りは宇宙のリズムそのものであり、創造と破壊のエネルギーを体現する。(図1)炎輪に囲まれ一足を上げて踊るシヴァは、4本の手の一つでダマル(図2)と呼ばれる太鼓を持って打ち鳴らし、その宇宙の音によって創造と破壊を舞い踊る。

図2 シヴァの太鼓、ダマル


 ヴィシュヌ神は、世に悪が蔓延る時、神々が十の化身のいずれかとなって姿をあらわす。ダシャーヴァターラと呼ばれるこれら化身には1.マツシャ(魚)、2.クールマ(亀)、3.ヴァラーハ(猪)、4.ナラシンハ(人獅子)、5.ヴァーマナ(矮人)、6.パラシュラーマ(賢者)、7.ラーマ(王子)、8.クリシュナ、9.ブッダ(覚者)、10.カルキ(暗黒の時代カリ・ユガの最後に出現するとされる)が挙げられており、8番目のクリシュナは「マハーバーラタ」では戦士アルジュナに『バガバッドギータ』を教える師として現れ、12世紀のジャヤデーバ作『ギータ・ゴーヴィンダ』では牛飼い女ラーダーの愛人として描かれている。(図3)ここではクリシュナがインドでバンスリと呼ばれる横笛を手にする。クリシュナがその笛を吹けば、霊妙な音が魂を呼び寄せる神の声となり、それを聴いた牛飼い女(ゴピー)たちは世俗的執着を捨てて神への愛(バクティ)に没頭するといわれている。

図3 ギータ・ゴヴィンダのクリシュナとラーダ


 さて三神一体の創造神とされるブラフマーであるが、彼自身は楽器を携えていない。しかし彼の妻で、水の神でもあるサラスワティーは、4本の腕を持ち、芸術・音楽を象徴する弦楽器「ヴィーナ」を抱えて創造的・芸術的智慧をもたらす。(図4)インドではガンジス川の女神であり、日本では仏教の弁才天として知られ琵琶を手にしている。

図4 ヴィーナを弾くサラスワティ

 ピーター・ブルックの『マハーバーラタ』の音楽準備中に一時帰国した1982年11月25日の朝日新聞のインタビューに、私は「人間は小宇宙でね、体にはドラム的な要素としての心臓があるし、笛の要素として呼吸がある、弦の要素である筋肉もある。それらが外に現れて楽器になる」と応えている。この時は、実際の楽器と繋がる根源的な「楽の器」が自分の体の中に総体として潜んでいることを述べたのだが、振り返ってみれば、これらはインドの三神一体のブラフマー(サラスワティ)、シヴァ、ヴィシュヌの神々が手にしている「楽の器」、ダマル(太鼓)、バンスりー(笛)、ヴィーナ(弦楽器)であり、これら同様の宇宙音が私の中の音霊と共振し、マルチインストルメント奏者への扉を開けてくれたのかもしれない。

 最後に私が訳したインドの音楽家でスーフィズムの伝道者であるハズラト・イナーヤト・ハーンの『音の神秘』に書かれた言葉を紹介したい。(図5・6)

図5・6 ハズラト・イナーヤト・ハーンと著作『音の神秘』(邦訳:平河出版社、1998)

 「私はどんなことばの中にも確かな音楽的価値を、どんな思考の中にも旋律を、どんな感情の中にもハーモニーをみいだしてきました。そして、かつては私の音楽に耳を傾けていた人々に、簡単明瞭な言葉で、このことを説明しようとしてきました。私は自分の心が楽器そのものと化すまでヴィーナを奏でました。それから、この音楽を、唯一存在する聖なる音楽家に捧げたのです。そのときから、私は神の笛となりました。神は思いのままに音楽を奏でます。人々はこの音楽を私の功績とみなしています。しかし実際、それは私にではなく、自らの楽器を奏でる神にこそ帰されるべきものなのです」。

 
 

土取利行

1950年、香川県生まれ。パーカッショニスト、ピーター・ブルック劇団音楽監督、縄文鼓・銅鐸・サヌカイト奏者。現在は岐阜県郡上八幡を拠点に活動中。