ときの酒壜|田中映男
13|アフリカ聯話1 マンゴ・レイン
ナイジェリアの話を6回に分けて書きます。
アフリカ西岸は雨が多い土地です。物成りが良く人口が多いので、幾つもの王国を生みました。ここを起点にスーダン、エジプトから中東ペトラを経て、聖地メッカに至る交易路がありました。大英帝国は直接力で抑えずに土地の有力王族を使う間接統治で人心を操りました。ナイジェリア人は今も英国好きです。その人気は米国を越えるでしょう。州知事選挙で当選したらハイドパークに部屋を探して、そこに「管理人の女性を置きます。必ず子供が出来ます」と教えてくれた副知事に遭った事があります。その顔は、どうも不正に手を染めよう、といよりは憧れに満ちたものでした。
ナイジェリアについては、二つの印象を持ちました。欧州に在勤していてガーナ出張の帰りに当時の首都ラゴスに寄ったことがあります。夕闇の空港で群衆に出迎えられました。天井の電球はしっかり盗まれ何も無い中、暗い玄関に座っていた数百人を越える群衆が立ち上がると殺到して来ます。「オレは」、とか「オレをなんとか」、と人を押しのけて「お客」を掴まえに来るのです。それが1974年でした。
次は2004年に赴任した際の、新首都アブジャの空港からの通り道の村でのことす。村の入り口にゆたかなマンゴ並木の道がありました。盛り上り茂る緑の葉を雨が叩き、風が吹くと枝から垂れた実が揺れます。おもわず大使館運転手のサイモン君に質問しました。十年走ったトヨペットをだましだまし修理運転する実直な人柄です。
「誰が食べるの」
「エニイ・バディ」
「誰の木です」
「昔、誰かが植えて旅人が食べます」
昔メッカまで巡礼する旅人の遠路を想い、誰かが植えた。名前ではなくその徳が残る道なのです。ラゴスの欲望剝き出しの群衆の熱量と静かな慈悲心、この二つはどこかで繫がるはずです。偶々昔のラゴスに常駐して人情を知り、二十年ぶりにナイジェリアに来た商社マンに聞きました。昨日ラゴス市場を歩いたとかで、彼の感想は「いゃあ変わりませんね。どこから湧いたか人の群れが走り回って、停電だし治安も改善しないし、けれどナイジェリア人が好きです」でした。ラゴスには、人間臭い魅力があるんじゃないか、と考えました。
マンゴの村でスケッチを始めると、すぐ鶏と雛が現れました。食べ物を探して地面をついばみます。餌はあるんだろうか。その後ろを3、4歳の幼児が5、6人追い掛けています。だれも服を着ていません。あとから仔羊と仔山羊が鳴きながらやってきます。年嵩の若者は、手ごろな棒で肩を叩きながら近寄ってきます。車を停めるまで人気の感じられない静寂の村でした。一瞬で変わりました。気がつけば動物の鳴き声と青少年に囲まれています。長老が来ました。「貴方は何処の方か」と聞いてきます。トヨペットの日の丸を指してジャパンと言うと、「次には事前に報せてください。訪問者が来ると、敵か、何か出来事の来る前触れかと思うのです」と念を押されました。どうも僕が門前に立った気配が村中に増幅されて、午睡中の獣と人を起こしたのですね。
長老の言う「敵か、前触れか」とは何か。敵の偵察が来ることもあれば、豊作の祝兆に誰かの訪問もあるのでしょう。敵とは宗教言語の違う集団か? あるいは草原を耕す畑作と牛を連れて雨を追って移動する遊牧民同士の土地利用の対立によるのか? この時は聞けませんでした。人と獣と草木は、ある意味運命を共にします。でも別の見方からは水と土地を争う間柄です。水と土地は命を護るために必要です。戦うこともあるし、人を救い、集団を助けるために自分を犠牲にすることもあるようです。場合分けはどうなっているのか、一度聞いてみたいと思いました。
僕はアブジャ近郊で村を見て回るときに、小学校を廻って英語俳句を教える提案を州政府にしました。政府は、過去にイスラム圏の大使が小学校を回って「正しい」教えを説いたのに懲りて、外国人の田園徘徊を警戒します。(俳句授業の話は六回目にします)翌年州政府に許されて回った際にはまた、マンゴ村に寄りました。「村の敵は民族・宗教を異にする集団か、出来事の前触れとは何か」と長老に聞きました。
「民族? 宗教? 難しいことは知らない。前兆は来るものです。無論占いをします。昔から良くないこと、判らない前兆が続くと年寄りが集まり、そして何日でも話し合うのです」
「その話題は何です」
「収穫の予想、山羊のお産、夫婦喧嘩、何でも言いたいことがあれば話すんです。村の長老が話し終えると、滞っていた村の気持ちがまた流れ始めます」
そのときには、風通しの良いマンゴの木の下に椅子を並べるといいます。それを住民が囲んで、コーラ・ナッツの実と、魚の出汁の辛いペペ・スープにパウンデッド・ヤム(白くて搗きたての餅のようにきめ細かい)が出されるそうです。前兆を占うとは、ナイジェリア、トーゴ、ベナンに住むヨルバ族のイファ占いのことで、その話は次回に回します。
「村の話し合いでは、原因を探しますか」
「探そうとはせぬ。天の光は全てを照らす。待てば光は来る。幸運と不運は横顔でくっつくから。決めるのは神だ」と長老は言いました。
田中映男(たなかあきお)
1947年、東京都生まれ。1971年、外務省入省。2010年にオーストリア大使を退職するまでの40年間に、海外の任地に8回勤務、80カ国以上を訪問。趣味は茶の湯、陶芸、銅版画など。
< 12|下田のユーディット を読む