ときの酒壜|田中映男

14|アフリカ聯話2 アフリカの神々


 

 ナイジェリアには神様がたくさんいます。川や畑や野原にもマーケットにもいます。砂漠にもいます。初めて出張したのがボルノ州、サハラ砂漠の南端でした。砂漠は前進します。じりじり砂壁が近づくので、それをなんとか竹で編んだ筵で抑えていました。むりでしょう。日本は、州都マイドゥグリから北へ二百キロ離れたダマサク村まで送電網を敷いて電気を通しました。車で走る沿道に、割れた角柱が積んであります。陽光が強く雨も激しいので割れるのです。今度の電柱が円い形なのは、遠心力を使ったからで、専門家はラゴスを歩きまわって、これが出来る企業を探したそうです。

 今日は開通式です。運転手サイモン君の隣には、機関銃を抱えた警官イブラヒム君が座ります。警護です。公邸で作る卵焼きおにぎりが好きな青年です。「今日はオバサンジョ大統領が来ると聞いてます。大統領は南部だけに肩入れをしない人です」。彼は北部のハウサ族です。南部出身のサイモン君も大統領が好きです。オバサンジョはビアフラ内戦を鎮め、民政移管を見届けてから、あっさり退任し、故郷で農場を始めました。「それなのにアバチャ大将のクーデターを批判して、キリキリ監獄に抛りこまれたんです」。「それでアメリカが介入して生還し、選挙に出て当選したのです」。二人が教えてくれました。ぼくは赴任前に東京で大統領にお会いしています。

 祝賀会の会場は広い野原でした。テントが立っていてもう2万人が集まっていたそうです。あちらからこちらから若者が歩いて来ます。「あれは牛飼いです。四方から見物に来たんです。出発は3日前で、今着いたんです。2日前に村を出たら明日到着です。終わってからも来るんです」とサイモン君が言います。

 やがて爆音が近付いて大統領のヘリコプターの着陸です。吹き上げた砂漠の砂が滝のように降りました。砂を浴びた髪の毛を払うと、痛い。針を束ねて突かれたようです。尖った草の実木の実が刺さりました。「待っていたよ、よく来た。われわれは砂漠で眠っていた」、と言って。ぼくは群衆の中を押し進むと大統領と握手しました。「君は何で来た」。「ぼくは車で来ました」。
 テントに集まった村長たちは遠くからもやって来ました。絨毯に跪き、州知事を拝して感謝します。革の幅広ソファに座る知事は、隣の大臣に頭を下げます。大臣は立って大統領の前でお辞儀して挨拶です。大統領はそんなに偉いのか?いえ、違います。知事が囁きます。「知事と大臣は、大統領から予算の数字を貰います。大統領は、神のご加護でナイジェリアの地下から出た原油の国際価格を基に数字を決めます。神様から始まります。そしてあの大統領は、運の巡る順番を邪魔しない」。
 来賓の前で、少年少女が産土神に踊りを捧げます。少女の腰の動きとまっすぐ伸びた背筋が見事です。それを見ていた村の小父さんたちは黙っていられず、争って前に出て、少女の頭上に10ナイラ札を降らせ、額に100ナイラを貼り付けます。すぐに男の子が拾って、お腹の帯に捻じ込みます。紙幣で膨らむお腹は座布団を巻いたようです。電力鉄鋼大臣が日本の援助を誉めて感謝した後、ぼくが呼ばれました。まず子供たちの可愛い踊りを誉め、感動した事を伝えました。

 「日本でも、土地の神に踊りを奉納して感謝する。神は良い事もそうでない事も恵む。今日は砂と草の実にまみれた。これは砂漠の神の歓迎で、自分は感謝の気持ちで満たされた。車で来る道々、電柱を数えると8本に1本の鉄柱が日本から来たもの。コンクリ製は、南のラゴスから運ばれたもの。電力でこの国の南北を繋いだ。日本がお手伝い出来たことは嬉しい」と話しました。
 すると大統領は挨拶の中で、「神の恵みは平等で、良いことも悪いこともあるが感謝するという日本大使の挨拶は、その通りではないか。ヘリコプターから電柱を見た。我々は日本のお陰で国を統合して、北の隣国ニジェールまで電気を送れるだろう」と言いました。農村電化は、隣国との関係強化の布石でもあったのです。大統領は変電所で、ぼくに送電線北進の方途を尋ね、昼食の席では、豚肉にかぶりつくニジェールの知事に、貴国大統領に宜しくとメッセージを託しました。
 アブジャに帰ってから草の実を抜いて貰いました。耳たぶや脇腹まで刺さっていて、ぼくの中指には折れた硝子針の様なものが見えます。砂漠の神の恵みについて長く考えました。

 さて農村電化です。大統領を見送った後、車で町を走ると、泥壁にともる電球が目に入りました。「おやおや電気がともったよ」。7人いた日本人全員が引き返し、泥の家を見ました。通りの電柱から線を引いて、家の入口はドアのない黒い四角い穴ですが、その上に裸電球がともっていました。室内は暗闇です。我々の周りは子供の洪水です。お姉ちゃんは妹の手を引っ張って、妹は恐怖に怯え人形を抱きしめて、蜘蛛の子を散らすように家の穴に突進です。危険なら逃げ込め、と教わっているのです。子供たちは、我々を追い越して消えました。カメラを構えると、真っ暗な穴から顔が覗いています。数が増えて穴の内も外も鈴なりで、日本人を見詰めています。振り返れば背後では数百人の大人が見物していました。ここでは電気より日本人の方が珍しいのです。ぼくは感じました。電球は外につける。夜道を照らして子供を護るんだ。つまる処、この国では子供たちが神様なんです。

 

田中映男(たなかあきお)

1947年、東京都生まれ。1971年、外務省入省。2010年にオーストリア大使を退職するまでの40年間に、海外の任地に8回勤務、80カ国以上を訪問。趣味は茶の湯、陶芸、銅版画など。