ときの酒壜|田中映男

15|アフリカ聯話3 オバサンジョの家族


 

 ナイジェリアに、桜にも似たデザートローズの木があります。公邸でその木の下にバケツを置いて稲を育てていました。もし庭に余裕が見つかれば必ず誰かが、ボーイのライナスや料理人ポールが野菜を植えます。芋、落花生を栽培します。ある時サツマ芋に驚いたら、逆に、日本にありますかと、お裾分けを貰いました。美味でした。庭に籠をかぶせた棒が立つことがあって、サイモン君がポールの鳥罠ですと教えてくれました。ここでは皆が食に切実なのを感じます。夜、星が出る頃、稲の近くに蟇蛙と家守が来ます。羽虫を狙います。羽虫の婚姻期は蛙は大忙し、夢中で食べ続けます。朝には鳥が来て、蛙を攫って行きます。

 この当時日本とナイジェリアは国連の安保理拡大に力を併せました。大統領とぼくは農場で打ち合わせを重ねました。飛行機とジープを乗り継いで何度も行きました。まずボイのチャールズが出て来ます。温厚で寡黙、孫に恵まれたお爺さんですが、ビアフラ内戦で司令官オバサンジョに拾われた少年従兵だったのです。今では農場に働く大勢の家宰として、作物と生物の全てに目をかけているのです。日本のスナック、きのこの山を渡して、陸稲の新種の生育を聞きます。「雀のせいで稲穂は軽い。隣りの熱帯農業研究所のせいで雀が増えました。学生を雇って声を揃えて追い払うので、ここへ来ます。私、鯉の池が心配です」。それは金色の鯉で、大統領が新潟で買った稚魚が増えて、最盛期百匹を越えたのに、水質の変化と鳥に取られたために減りました。掃除で金網を外したとき、攫われるようです。改善法は、新潟に電話して聞きました。

 さてヨルバのイファ占いは、八卦にも似た、運気の盛衰を先祖の霊に尋ねる法だと言います。左掌のコーラ・ナッツを右に移して、残る数が陰陽を示す。8回繰返して陰と陽の型を得る。型ごとに詩賦・物語りが伝わっていて、それを口伝で継承した導師がいる、オバサンジョには優れた導師がいると聞きました。導師は詩を謡う。そこからが大事で、導師は問う者の質問は知らないが、その一身の状況を汲んで、その人が運の高気圧低気圧の配置を読む手助けをする。ですからお御籤にも似ています。
 イースターに農場で大統領に聞きました。日本人は祖先を崇拝する、貴方のイファの師を教えてほしいと。大統領は「イファは先祖崇拝だと聞いたのか」と言い、「それでは日曜日に来なさい、親類と友人のランチがある。その時ワンデ師と従兄弟を紹介しよう」と頷きました。そして一言「大事な答えは、尋ねる心に浮かぶ。二つの見方のどちらも不完全だと知れば、どちらを選ぶかは、問おうとすることで決まる」と付け加えました。

 日曜朝農場に着くと、司祭と大統領は教会で賛美歌を歌っています。教会は狭く質素ですが楽器が置いてあり、満席でした。大統領が横の小柄な婦人に声を掛けました。「アドゥニ」婦人がバッグを取って腰掛を詰め、そこに座った小柄な婦人が大統領の妹でした。司祭が、今日は我らがシスターの誕生日だ、と宣言して歓声が上がって判りました。壁際の賑やかな9人の男達も皆牧師で、妹さんを囲んで祈ります。ピアノ、エレクトーンと電気ギターが加わり、全員が踊り出しました。司祭はオルガンをブンガブンガ弾き、牧師バンドがサキソフォンとギターで伴奏すると、村人が讃美歌を唄い、脚と腰を揺すって踊ります。それは後ろに少しずらせたバック・ビートでした。空色の小さなハンドバックを手首に掛けておとなしく撥ねるのが、妹のアドゥニさんでした。席に戻り、「家の兄弟9人のうち残ったのは兄と私だけです。兄は内戦の後、指導者になりましたが、選挙で選ばれた大統領に譲りました。それを倒したアバチャ将軍のクーデターを批判して、キリキリ監獄で一度死にかけました。自分のことをリボーン・クリスチァンと言います」と話してくれました。

 歌は全員が立って腰を振って呼吸を合わせます。説教はいわば牧師の独唱です。うまいと声がかかる。「サンキュー・ジーザス」「ハレルーヤ」、それを皆で唱和して教会の建物が共鳴する。3回賛美歌を歌い、3人の牧師が個性的で愉快な説教で場を沸かせ、湯が沸騰するような熱気です。最後に大統領が静かに語りかけます。今日のお客の紹介、集会の意義、神への感謝。簡潔でした。差し水みたいなものか。「最後にもう一節」そう大統領から促されて、全員が立ち上がり肩と腰で賛美歌をゆするように歌う。10人の牧師が手を振り、体を揺すって伴奏と共に感謝の祈りを声高く叫ぶ。全員でその場の熱量を共有する喜び、これがアフリカン・ソウルでしょう。
 お昼は河魚の煮干しと辛子、そしてケチャップで味付けしたジョロフ・ライス。焼き飯です。「うちの子の好物よ」親戚の女性が教えます。白シャツの男の子が煮肉をほおばります。皮も筋も脂肪も一緒に煮た角煮です。噛むともちもちして美味しい。豚肉か聞くと、大統領は「牛だ、この農場の牛だ」と言います。親戚の叔父さんたちは、靴やベルトに使うから最近では牛革を満足に食えないと、ぼくに零しました。
 食事の最中チャールズが来て耳元で何か告げます。大統領は顔を曇らせ、「ワンデ師は体調を崩された、次を待とう。その時は是非2日の暇を作ろう、自分が案内できる」と言いました。夜、大統領とぼくが教会で祈る姿が、テレビで全国に流れたそうです。でもテレビ・カメラは大統領の足下までは写さなかったと思う。だからきっと、ぼくの他にはサンダル履きの大統領の足が小刻みにリズムを取って揺れていたのを知る者はいないはずだ。

 

田中映男(たなかあきお)

1947年、東京都生まれ。1971年、外務省入省。2010年にオーストリア大使を退職するまでの40年間に、海外の任地に8回勤務、80カ国以上を訪問。趣味は茶の湯、陶芸、銅版画など。