ときの酒壜|田中映男

16|アフリカ聯話4 ムアズと母


 

 ナイジェリアのバウチ州に旅して、ムアズ知事のお母さんと白孔雀に会いました。孔雀は版画にしました。大統領農場で「改革人材」アフマド・アダム・ムアズを誉める噂は耳にしており、与党PDPのアフリカ開発セミナーに出て話も聞けました。肝が座って大胆です。「政府にも知事にも不正がある」だから「直ちに常に、監視し摘発する、不正があれば大統領でも村長でも摘発せよ、さすれば汚職は減少するよ」と普通の表情で、気負うこともなく、当たり前の言い方で指摘しました。率直な人柄に瞠目しました。それだけではありません。隣りの女性が席を立ったスキに、ハンドバッグを隠していました。小学生の男の子みたいじゃないですか。ぼくと彼の間に座ったのは女性大臣で、官公庁の入札を監視する長官でした。地元の力学にはお構いなしで入札慣行に手を入れて、「ミセス・デュープロセス・オブ・ロー(適正手続き夫人)」と呼ばれています。アダムと親しいらしく、お手洗いから戻り、椅子の上からバッグが消えていてびっくりしたものの、すぐにアダムが机の下に隠したのを発見。肩をぶつ真似をして、お腹を抱えて笑いをこらえながら帰りました。飛行機の時間が来たからです。ぼくに、「あれで本当は仕事を愛してるんだよ」と耳打ちするアダムはやんちゃ坊主みたいで、いっぺんに好きになりました。その時に是非うちの州を見に来てくれと招かれました。

 旅はサイモン君の運転で、武装警官イブラヒム君が同乗です。これは外務省経由でお願いした警備なので、食事なども公邸で作って持たせました。アブジャから東北に500キロ走ります。日本大使館のお弁当、海苔のお握りと卵焼きは好評でした。「それに弾代も貰えます。フツーは自分で買います」とイブラヒム君。驚くとサイモン君と二人、顔を見合わせていました。「燃料を買わされることもあります」と言う。弾薬は上司の懐に入るのだと判りました。それで「夜路上でパンパン音がする。あれは誰が弾代を出すの?」と聞くと、「ご心配なく。夜巡回する強盗団は金が目当てなので、危険は避けます。銃声は警備員と彼らが互いに、実弾だぞ、実射訓練を怠っていないぞ、と威嚇しているので、治安が保たれている証拠です」。

 州首都を見ました。どの家も塀が低い、有刺鉄線がない、警備員がいない。高い塀に鉄条網、窓に鉄格子、一階から二階へ登る階段には刑務所と同一の鉄扉を拵えるアブジャ州とだいぶ違う。それとバウチは路上にゴミがない。帰りに通った隣接州では、ロンドンの知事のアパートから現金9千万ポンドが発見され、英国警察からマネーロンダリングの容疑で逮捕状が出ていました。その目抜き通りはゴミの山でした。バウチのマーケットは品数が多く、安く、売り子の顔が穏やかでした。食べていける安心感があるのでしょう。客も絨毯に座り込んでお茶を飲み、買い物を楽しんでいます。
 ムアズと食事をしました。ヤム芋と野菜と鳥の砂肝の煮込み、ミレット(稗粟)を醗酵させてつくった爽やかな甘酒に似た飲料も飲みました。ナイジェリアの36人いる知事の中でもアクションが早く、しかも……ここが大事なのですが……珍しく清潔で、大統領に信頼されているのです。ちょっと見にはクレイジーケンバンドの横山剣さんにも似たハンサムな48歳ですから、期待する人も疑い深い人も、大統領が職を譲るのではないかと、つい想像してしまうのです。
 知事公舎には野生の駝鳥と孔雀がいました。白い孔雀です。翅はベルギー刺繍そのままです。繊細な翅を畳んでヘリコプターのように垂直に屋根に上がると、脳天から奇声で鳴きます。どうやらぼくを脅かしているようです。

 ムアズが、帰りに母の住むアクゥオンゴ村に寄れと薦めます。ところがアダムは連絡を忘れてしまい、ハリーマ母さんは、ぼくの訪問を知りませんでした。「まあ」と驚き、ころころ笑いながら家の奥から恥ずかしそうに出て来ました。アダムそっくりの目がくりくり動き、高い声で暖かく話します。すぐイブラヒム君が、「ぼく、通訳します」と来てくれたので、質問しました。イブラヒム君は、緊張して直立不動、自動小銃の銃口を絨毯に向けてハウサ語から英語に通訳します。「お歳は?」「70歳アンドむにゃ」。「お元気の秘訣は?」「朝紅茶を飲んで体を温めたら、散歩が日課。野菜の多いシチュウと米キャッサバ玉蜀黍ミレットのパンを食べること」。
 そこに年配の婦人、双子の妹ハッサナとサフィーナが加わります。母さんと双子の叔母さんの3人でアダムの世話をしたのです。
 「アダムとはもう友人です」
 「息子の友達なんて、会えて嬉しい!」
 「アダムはどんな子でしたか」
 「冒険する前に良く見て考え、私の言うことを聞く子でした。悪い影響も受けずに問題のない子でした。折角だから私の手料理を……」と誘ってくれました。伝統的な家庭料理を味わいたかったのですが、生憎とアブジャに先約があるので、やむなく断り、記念写真を撮りました。ハリーマ母さんは幼女のように恥ずかしがり、おとなしくメイドにベールを直させています。「出来上がり写真は、どうやって届くのかしら」と聞かれました。「次は彼が公邸に来ますから、そのとき渡します」と答えました。自分の写真をとても楽しみにしてくれていました。
 アブジャに帰ると、新聞にナイジェリアの母子の話が出ていました。クロスリバー州で鰐に子供を取られた母親が、河べりの繁みに5日間も潜んだ末、仕返しを遂げたといいます。ラゴスでは、路で遊ぶ子に袋を被せて攫った男が、母親の集団に殴られ、警察が遅かったら男は死んでいただろうという記事も読みました。子をもつ母には、もの凄い力があるようです。

 

田中映男(たなかあきお)

1947年、東京都生まれ。1971年、外務省入省。2010年にオーストリア大使を退職するまでの40年間に、海外の任地に8回勤務、80カ国以上を訪問。趣味は茶の湯、陶芸、銅版画など。