ときの酒壜|田中映男

17|アフリカ聯話5 ザイナプ、ンゴジ、ドーラ……アフリカの女性


 

 ナイジェリアの大都市、ラゴスの大通りを歩くと、肩にミシンを乗せて運ぶ人を見かけます。流しのお針子です。この国ではお針子に頼む人が多いのです。
 ンゴジ(オコンジョ・イウエアラ)もお針子に頼みます。オバサンジョ大統領が蔵相として東京に連れて来ました(僕が赴任したら隣人でした)。焦げ茶地に原色で四角を散らした生地のドレスと共布の帽子で、赤と緑が拮抗して勢いと品を感じました。その顔は、当時赤坂の版画工房で僕に仕事を教えてくれた先輩に似ています。仕事の本質だけを掴むところも似ていました。バウチ州のムアズ知事にそう話すと、同じ顔の人間が3 人居ると聞いたよ、でも米国で大学を2 つ卒業して世界銀行で副総裁まで登ったのは彼女さ。大統領は、320億ドルの巨額の債務を交渉させるために引き抜いた。国からの給料が少額なので、国連の開発プロジェクトの専門家にしている、と教えてくれました。欧米日本と2年交渉して、債務繰り延べで合意しましたが、日本側は、東京で彼女の説明を聞きました。それは世界銀行流儀で、太い筋道で論理的に借金棒引きの損と得を比較考量したものでした。2年後にその交渉が纏まりました。大臣室での署名の席に、ナイジェリアの女性記者が取材に来ました。「世銀の副総裁から公務員になると大変ね。国連から貰う二つ目の給料で足りますか」と嫌味な質問をします。顔色を変えず「私は生れて以来、ずっと稼いだお金で食べて来た」と答えました。その調子は、「私は自分の箸で食事をする」と言っているだけに聞こえました。ナイジェリアの政治家の当て擦りにも同じ答えでした。気負わない正面からの対応です。ムアズが言うには、「ビアフラ内戦当時、ンゴジが高熱の妹を病院に連れて行くと、患者と家族数千人が病院を囲んでいた。彼女は病いの妹を紐で背中に縛り付けて、壁を攀じ登り4階の医者の部屋まで行くと、窓を叩き、中の医者と議論して妹を診察させた」ということでした。
 ンゴジに紹介された薬品規制庁長官のドーラも、衣類はお針子に頼みます。彼女のドレスは中間色です。彼女はラゴスでマーケットを回って、箱と瓶だけ似せた偽薬を集めると、カメラの前で偽薬の山を燃やしたことがあります。薬のシンジケートはヒットマンを雇い、彼女の自宅に放火しました。ドーラが娘を連れて屋根に登ると、「何故か警官がそこに居た。撃たれたけれど助かった」そうです。ドーラは「逃げるには裸足が一番よ。偽警官はトタン屋根で足を滑らせた」と笑っていました。後でンゴジから「彼女の幼い妹が飲んだ薬が偽薬で苦しんで死んだ。彼女には怯んだり遠慮してる時間はないのよ」と聞きました。
 ザイナプとは、ラゴスの帰りの便の中で知り合いました。離陸前に僕が読んでいる文庫本を覗いて「ソレが日本語の活字か」と質問してきました。「外来語はカタカナで、基本的には意味を持つ漢字と音を表すひらがなの2 種の活字を使う」と説明したら、「日本人はそうして欧米の文明を輸入した訳ね」と感心していました。髪を隠すハウサ族の伝統衣装は自分でデザインしたものです。彼女は象牙海岸など仏語圏の富裕層の間を回り、自分が見つけたデザイナーとお針子でネットワークを築きました。セネガル出張があったときは、「私のデザイナーは、経営者であり母親なの。抜きんでた女性だから会って欲しい」と薦められました。会って見たらザイナプを私の姉と言います。ダカールの街はラゴスより穏やかで「拳銃を持つ男が歩いていない」そうです。繁盛する街では、「ナイジェリア・マフィアがいるけど、ザイナプは怯まないわ。平気で警察に言う」と称えます、お陰で私も商圏を守れた、ザイナプは将軍や政治家の奥さん方を顧客にしても、「その夫には近付かず頼らず」のだそうです。
 ザイナプから叔父さんも紹介されました。中国と商売しているということで、「今度の選挙用に125ccの原動機付モペットを1万台注文した。中国から200ドルで仕入れて後輪の泥除けカバーにペンキで候補者名を書けば1000 ドルで飛ぶように売れます。候補者が有権者に配るのです」と解説してくれました。
 奥さんが4人いて「肝腎なのは、完全に平等に扱うこと。祈祷モスクは4棟同じデザインで建てた」そうです。第4夫人に生れた子どもの命名式に招待されました。ザイナプと僕の家内は別の建物に向いました。男ばかりの席で、叔父さんから追加で平等の扱いについてレクチュアされました。別の日にザイナプは僕に、「第一夫人の心が穏やかで優しくて、第二夫人に理財の才があったら第四夫人は楽よ。子育てに専念できる」とレクチュアしました。
 それから暫くした或る雨の日の午後、ザイナプが妹を連れて来ました。お茶をしていると、正門警備員が来て「マダム・ザイナプの妹様がお見えです」と告げます。彼女が行ってもう一人の妹を連れてきました。それは色白の本物のクレオパトラでした。雨に濡れて立っていました。黒髪で、服は姉妹とも生成りの白い衣装です。そのまま妹は姉の膝で体中で泣いていました。「妹は、かつてクーデターで政権を取ったアバチャ将軍の親衛隊長のハムザ・ムスタファの思い人なの。今悲しい日々を送っているのよ」。「アバチャって、オバサンジョをキリキリ監獄に幽閉して命を取ろうとした独裁者で、ハムザはその片腕でしたね」。「そう。今キリキリの所長は、ハムザの後輩なのに、面会日を月1 回まで減らして、妹にはもっと減らしてやると脅かしたの」。
その日別れる時、ザイナプは言いました。「妹が支えているから、ハムザはきっと生きて出られるわ」。
(それから十年位してネットで調べたら、ハムザはオバサンジョの恩赦で出所して、大統領選に出馬していました(落選)。キリキリの劣悪な環境で生き延びた自分の体力と神の加護が選挙の売り物でした。ナイジェリアという国の一面がうかがえるエピソードです)。

 

田中映男(たなかあきお)

1947年、東京都生まれ。1971年、外務省入省。2010年にオーストリア大使を退職するまでの40年間に、海外の任地に8回勤務、80カ国以上を訪問。趣味は茶の湯、陶芸、銅版画など。