ときの酒壜|田中映男

19|アフリカ聯話7 ワンリの目の付け所


 

 ナイジェリアのワンリ・アキンボボイエは、人口1500万のラゴスのビジネスマン。敏捷でマメな性格です。首都、アブジャの与党大会に劇団を率いて来ていました。通り掛かりに見たら、歴史劇でした。舞台は王宮で役者が二人、ズボンの上に褌を履き、土俵の上で投げを打つ、その後ろで、「腰ヲ引クンダ、体重ヲカケロ」と掛け声を掛けていました。足が邪魔で出来ない。この国にも相撲があるか質問したら、男は「無論だ、スポーツで勝ち負けを決める伝統さ」と胸を張ります。「隣り合う王国が、7年ごとに王子のレスリング試合で覇者を決める。史実さ。稽古を見に来るかい」とラゴスに招かれました。

 稽古場は海辺のホテルで、劇団員は従業員でした(更に警備会社の社員でもある)。彼らは砂浜に額を付け、両拳に上半身を預け爪先で体重を支え、グッド・モーニング・サーと挨拶しました。ワンリは「伝統の挨拶だ。あれが出来るから座っても立っても、見事な挨拶をする。ぼくが見つけた連中で、ぼくの自慢さ」と言います。
 「現金輸送と警備の仕事をして、軍隊式訓練で昇進する。車の防弾改造もする。強盗団と銃撃するから、実弾訓練を重ねて、射撃戦なら必ず勝てる水準まで腕を磨いた。雇用年数に応じて住宅資金の低利融資を受ける。自分が恩恵に与ると期待できることが大事だ。自分で人生を設計できる誇りだ」。
 「ぼくは親にせびり、アメリカを見た。ナイジェリアに帰って考えた。何をなすべきか。夢は実行に移せ。そして誇りが大事だ。我々は植民地で誇りを奪われた。外国に憧れて、文化を真似する。だから誇りが必要だ。ビジネスで人が誇れるものを考えた。警備と娯楽と観光、頭文字をとってSETの三分野だ」。
 警備部門の話を聞きました。十年務めた警備隊長の語るラゴスの治安は、危険と安全の境目が揺れ動く。アブジャ大使館は外務省の在外公館危険度ランクで、アフガニスタンとイラクに並ぶ危険度5(2004年)のトップです。訥弁の隊長さんの話では、「最近カーネル(大佐)級に昇進した。昨年家族と住む住宅を買えた。ワンリの保証で銀行が住宅貸付を認めたんだ。ワンリはラゴスの辻で若い骨のあるのを選んで、我々が鍛える。スラムの暮らしは苦しい。玉葱に釘を何本も打ち込んで早朝路上に転がす。車が停まったら蛮刀で襲いかかる。蛮刀と拳銃の強盗だけでは、家族を養えない。強盗団に入れても首領が半分取る。その上、高級店の強盗なら、手下を疑う首領が、後で客を集めてインタビューだ。〈正直に答えて下さい、手下の言う品物と違いがあったら、貴方のルビーや真珠は返します〉と言うんだ」。

 劇の稽古とバンドも見学しました。そこに歌手のアラが居ました。アラは後にスティーヴィー・ワンダーと共演することになる女性ですが、「弁護士志望で法学部で学んだけど、霊的なトーキング・ドラムに魅せられた」と言っていました。「太鼓はイファ(占術)の道具で女には許されなかった。ところがアラは、長老に認められたんだ。太鼓は人を育てる。人柄を磨いて謙譲になった」と、ワンリ。ワンリの楽団を公邸に招いたとき、アラは日本の歌も歌いました。カセットテープから美空ひばりの「川の流れのように」を選びました。聞いたそのままに歌えるようです。
 ワンリには一粒種がいます。3歳のニフェ、つぶらで黒い瞳、仏様の螺髪のような縮れ毛の我儘娘です。ラゴスでワンリ邸に泊り、散らかし放題の寝室を見て、甘やかされてるなと感じました。次にワンリの家族が公邸に泊まりました。朝、ニフェはブラブラ振っていたお人形をぽいと捨てました。思わず知らず僕に拾わせたのです。僕が拾って、「もう落とさないでね」と渡すと、今度は階段に抛ります。仕方なく僕は階段を降りてもう一度拾って、お嬢に渡すと、ワンリに「お前、合格したようだ。ニフェに気に入られたな」と言われました。そして娘を第二夫人に貰えと勧めるのです。半分は本気で真剣なようです。「一夫多妻がうまく行く前提は二つある。まず第一夫人が良い事、次に本人が夫を気に入っている事さ」と笑います。

 ワンリと汚職や犯罪の話をしながら、国の将来について聞いたことがあります。
 「ぼくは確信してる。ラゴスの街を見ろ。路肩で、人ごみで、空き地で、ピストルから便座まであらゆる物が売られ、盗まれ、追い掛けられてる。人の汗と怒号と駆け足の音がGNPの先行指標なら、ラゴスは世界一だ。ここからアフリカは自信を見つけるよ」。彼が日本の伝統に感心し過ぎている様子なので「でも、日本人の発想は理解され難いんだ」と、ラゴスの食品関係の社長さんの話をしました。
 「従業員の清潔感を考えて、下駄箱を作りました。誰も下駄箱を知らないので日曜大工で作りました。入り口に置いたら、誰も上履きに履き替えない」。
 皮靴を棚に置くのは社長さんだけで、社長の靴は2回盗まれたと話したら、ワンリは、「靴棚に蓋がなくって、鍵を付けないのか! 日本文化の力だ」と驚きます。「それを見に行きたい。きっと役に立つ」。
 休暇帰国を利用して、ワンリを連れて三重の長島温泉に行く計画を立てました。近くの東員町で、猪名部神社の馬上げ神事を見ることができました。ワンリは興奮しました。各町内から曳かれて来た名馬が、白面の少年騎手の掛ける気合で次々に馬場を疾走し、余勢をもって急な狭い坂道を駆け登り、最後の土塁を越えられるか否かで、米作の豊凶を占う神託を聞くのです。「ナイジェリアにも馬が疾駆するダーバ祭りがある」と気に入ったようでした。
 長島温泉では設備に感心していました。でも脱衣所で首を傾げていました。貴重品はフロントに預け、戸棚には鍵と部屋着くらいなのに、なお戸棚に鍵をかけたからです。「日本人は、ドイツ並みかい?」

 

田中映男(たなかあきお)

1947年、東京都生まれ。1971年、外務省入省。2010年にオーストリア大使を退職するまでの40年間に、海外の任地に8回勤務、80カ国以上を訪問。趣味は茶の湯、陶芸、銅版画など。