ときの酒壜|田中映男
21|アフリカ聯話9 419
フォーワンナインと読みます。ナイジェリア刑法419条が「誰かのフリをして人を騙して金を盗めば懲役3年」と定めています。だいたい30年前のラゴスで、偉い人のフリをして詐欺の手紙を世界中に出す競争が始まりました。大学を出ても職の無い青年たちはカフェに集まり、ニセの文面で本物の個人口座に送金させる工夫を凝らしました。王族、大臣、知事を差出人にして、金縁印刷封筒に入れ、切手は印刷屋の友達が手配し、何千通と出しました。中を開けるとアバチャとかモブツとか誰でも知る独裁者の弁護士のお願いで、「隠匿資金を国外に送るお手伝いしてくれたら一割差し上げる、ついては口座開設料を送金せよ」なんて、誰が信用するかと思いますが、被害が広がり、メール時代には更に広がりました。
私は、と言えば着任してすぐ、机の電話が鳴りました。大使館の交換手が、「長崎からです」と繋ぐと、切迫した声。
「アンタ大使かね?」
息を呑む様な訊き方でした。
「アンタ、ちょっと大統領の声をしてくれんかね」
私が精いっぱいダミ声で話すと、電話の相手は
「ああ、やっぱダメじゃったか!」と落胆の溜息。どうやら詐欺にかかったようです。
「それで送金はしたんですか」と私。
「ああ。した」
「幾ら」
「2千数百万。我が社の資金全部だったです。大統領が英語でドント・ワーリと言うたですよ」
次に東京の施設の理事長さんからファックスが届きました。「ナイジェリア政府が自分の事業を認めてくれた、ナイジェリア中銀総裁は『100万ドル寄付する』という手紙をファックスして来た。ところが『その銀行の国際何とかコードが判らないので調べて、折返し返事して』」ということでした。
頭から善意を信じています。辞書で和訳した文面です。法務官僚は、なんと勉強の足りぬ学生だ、文章は稚拙だし綴りが間違っていると怒りますが、人を騙す筋立てに工夫があるのです。
「ナイジェリア初の宇宙飛行士だ、旧ソ連の宇宙ステーションに雇われ、最後に地球に帰還するシャトルに乗るはずが、ソ連は金塊と機密文書の帰還を優先させたので14年間留められて帰還できない。その間振り込まれた危険手当てが溜まって300万ドル。ラゴス州信用金庫の口座に手数料を入れれば引き出せる、貴方にも1割差し上げる」と誘います。中には米国から飛んで来て、大蔵大臣室に案内された被害者もいます。大臣秘書官が本物の大臣室の扉を開け、「ホラね。出張中でしょう」と赤い皮の椅子を指さされ、そこで納得したそうです。大統領の声色くらいは使います。どうやら通される座敷の設えが大事なようです。
座敷の設えといえば日本で旧藩の家老屋敷に招かれた人がいます。人形作りの「Hさん」の話です。京都の小児科医で≪閏≫に「泥遊び筆遊び」を書く加藤静允先生にお供して唐津に行ったことがあります。陶磁器がお好きで蒐集するT医師のお宅で初期伊万里、古伊万里、唐津焼の名品と良い陶片を拝見しました。陶片はざくざく箱に入って重なっていました。そのお二人の話にHさんが出ました。
Hさんは古伊万里の色絵婦人象を倣製する人です。一体作れば一年暮らせるほどの人形を作る人ですが、その人が唐津まで遊びに来た時のことだそうです。家老屋敷に案内され、間違いない肉筆浮世絵(後で土産にくれる)の掛かる座敷に通されて庭を見ながら涼んでいたら、白髪のとても上品な婦人が出て来て、濃茶を点てたから召し上がれと勧められたといいます。その家の主人が、紅志野の陶片を手に取って見せて曰く、「桃山期です。こんなものなら抽斗に三杯はあります。よかったらいつでも」
Hさん、帰宅して思い出す。自分は志野には素人でもあの陶片はどうにも儲かる口だ。惜しいなと、あらためて尋ねたら売ってくれるという。すっかり騙されて、紅志野陶片を抽斗に一杯、偽人形一体ぶん位の値で買ったと聞きました。
中国の419犯の話を尾崎紅葉が書いています。紅葉の「偽金(ぎきん)」は清朝の「嫁禍自害」という作の翻案だそうです。禍は自ら招く、という意味でしょう。
「然るべき屋敷勤の腰元衆の女数人、供には多くの女童を従え美々しき服装」で、質両替商の繁華な店先に「繹々(つぎつぎ)と邌(ね)りこむ」
まず手代に、お宅は幾らまで元銀を用意できるかと高飛車に聞く。しめたと手を打つ手代に、これは家重代の金無垢調度ぞと見せ、事情があって三千両借りたい。手代はこれを信じて金子と預札を渡す。品物を調べたら、銀胎の偽金だ(本物ならば一万両)。手代は青くなったが、主人はなんのと一計を案じ、質物預かりの偽手形を作り、手代に道に棄てて来いと命じた。するとどうなる? これを拾った者は着服して手形を現金化しようと駆けずり回って大怪我をする。で、二人して機嫌を直した。数日後一行が同じ供揃えで現れる。三千両に利息を付けて預札を出す。ところが品は処分して証拠がない。捕縛も出来ず、純金の値段の倍で弁償して店は潰れたという話です。2回騙すぶん悪質です。
話をナイジェリアに戻します。各国大使は相談の上、最先任のパレスティナ大使を外交団長として外務省に申し入れました。ちなみに大英帝国の遺風で外務省組織は硬化しています。外務次官は大臣と事務方の間で周旋するので実直で地味な人柄から選ばれます。
「由々しい国際問題だ。米英だけでなくレバノン、シリア、イラン、イスラエルまで被害が及んだ。どうかラゴスの失業青年を一斉検挙して戴きたい」
そこで外務次官は、なんと膝を叩いて笑ったのです。
「はは、何だって! 近来愉快だ、英米人を騙した上、地中海の高名なフェニキア商人も猶太人もアラブ商人もトルコもペルシャまでもが学生に騙された! よくぞやった」
「君だってヨルダン川西岸で信託統治下で圧迫されたクチだろう? これは権力に反発した青年の心の叫びだよ」と言われて同意しそうになったよと、ふくよかな顔に美髯を蓄えたパレスティナ大使はにが笑いです。
田中映男(たなかあきお)
1947年、東京都生まれ。1971年、外務省入省。2010年にオーストリア大使を退職するまでの40年間に、海外の任地に8回勤務、80カ国以上を訪問。趣味は茶の湯、陶芸、銅版画など。
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