ときの酒壜|田中映男
6|ウイーン気質 その二─舞踏会を作る女
戦後長くオーストリアの教育文化行政で働いた首相顧問ペーター・バイサー博士が、この街の人々は秋冬はブルク劇場とヨーゼフ劇場と楽友協会とオペラ座の演目、冬春は舞踏会の日取りを考えて動いているとぼくに言った。だから聞きたいことがあったなら、エリザベートに聞くといいとヒントをくれた。舞踏会で有名なのは珈琲豆業と菓子喫茶店組合の主宰するカフェージーダーバルと、ウイーンフィルが楽友協会で催すバル、それに王宮のオーペルンバルだ。ぼくはカフェージーダーバルの名誉理事会で、エリザベートと一緒になった。次の年にはフィルハーモニーバルの名誉理事会でも一緒になった。
彼女からザッハーに招かれた際に、「何でも好きな料理を注文して頂戴。わたしはここの料理は油を使い過ぎてるから、炭酸水とサラダとクラッカーでいいわ。気にしないで注文してね」と不思議なリコメンデーションを受けて、《クラウト・フレッケルン⦆を注文した。その時以来の友情だけれども、本当に親しくなったのは舞踏会だった。因みにクラウト(キャベツ)・フレッケルン(ボヘミア地方のショート・パスタ)は、『タンテ・ヨーレシュ』という、作家フリードリヒ・トーアベルクが編んだウイーンの猶太系市民とチェコ系市民のアネクドートを集めたベストセラーの中に出て来る庶民の家庭料理だ。ザッハーで注文するようなメニューではなく、失礼かなと思ったものの、ウイーン赴任直後のぼくは、様々な料理店で聞いて試していた。逸話では「来週日曜日、タンテ・ヨーレシュがその料理を用意するらしいと噂が流れると、プラハからもブタペストからも親戚中が集まる」といわれた料理で、キャベツの甘酸っぱいショート・パスタなのだが、店によって味が違った。
名誉理事には、舞踏会でその年に社交界デビューする少年少女の踊りぞめの姿を見て寿ぐ役目がある。彼女は合理的でサバサバした男らしい性格の人だ。ウイーンでは育った地区によって気質が違うといわれる。19区(デブリング高級屋敷街)の名門猶太家系に生れた彼女が18区(ベーリング上級住宅が多いが稍商工業地区)のザハー創業家ギュルトラー家に嫁いだら「家風がまるで異なった」。「お金と時間の使い方が納得がいかなかったし、女出入りの過ぎた」夫を離別した(のち病死)。二人の子供が後を継ぐまでの中継ぎだと周囲は思ったろうが、彼女は独りで経営した。ザッハーがトルテ輸出に力を入れたのも、ザルツブルグにホテルを進出して屋台を大きくしたのも「全部彼女の腕さ」とウイーン名代の老舗の菓子屋が言う。
仕事が出来る上に人情家というのか、人の情がわかる。ある時自宅に招かれた。夕食の卓に独りでいたら、日本から着いたばかりの女性客と相客になった。帝国ホテルの有名な大株主のお嬢さんだった。エリザベートは、「彼女の父親に助けられたの。だから、大使と知合ったら彼女のビジネスにも好都合だと考えて」招いたのだと言った。
少女の頃はチロールの牧場で「馬といっしょに育って」馬術に打ち込んだ(大会で準優勝)。その縁で国からリピッツァーナ種白馬の舞踏で有名な国立スペイン乗馬学校の立て直しを頼まれた。それまで8年引き受けていたオペラ座舞踏会は、スウェーデン国王も来る国際的な社交の舞台で、彼女が毎年テーマを考え、招客を選んで会場を作った。彼女の評価は高かったが、それを辞めて学校長に就任した。老朽化した施設の修復の費用を捻出するのに、学校で真夏に舞踏会を主宰して成功した。その《フェテ・インペリアル》(皇帝の祝宴)は、彼女に言わせれば当然の名称で、「ここ乗馬学校は16世紀に皇帝フェルディナンドの厩舎として建てられ、マリア・テレジアが仮面舞踏会を催して、1812年には楽友協会が発足したと言う由緒を持っている。活用したのよ」という発想だった。
こんなに忙しくて何でも引き受けてしまうエリザベートを、どうやら陰で支えて「内助の功」を認められていたのが、名優ヘルムート・ローナだった。16区労働者街オタクリング生れで、彼女とはどう合うのだろうか。二十数年間パートナー(レーベンス・ゲフェールテ)として一緒に暮らして来た、と言った。彼が長年務めて来たザルツブルグのフェストシュピール劇場の《イエーダーマン⦆に出演、または演出する機会には、ヘルムートの腕をとって満ち足りた顔でザルツブルグの町を散策するエリザベートの写真が新聞を飾った。
ヘルムートには唯、時に「どうしても独りでなくてはならない時が訪れる」らしい。そういう時はどこに行くか知っているのかと尋ねたら、「カイラス山というチベットの山の頂きを目指すんだ、と言ってテント一張を持って出かけるわ。あの男だけが、私に孤独のさみしさを感じさせる」と答えてくれた。
田中映男(たなかあきお)
1947年、東京都生まれ。1971年、外務省入省。2010年にオーストリア大使を退職するまでの40年間に、海外の任地に8回勤務、80カ国以上を訪問。趣味は茶の湯、陶芸、銅版画など。
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