ときの酒壜|田中映男

7|ウイーン気質 その三─役者ふたり


 

「ハプスブルグ帝国は軍事も政治も冴えなかった。ウイーン子はそれなら芸術文化で世界に輝こう」。そういう気分がウイーンには強い。そこで芝居と役者の地位が高くなった。政治家は「シュランペライ(良い加減の仕事)」でも、「またか」で済む。音楽家と役者は少しの下手も許さない。客席から叱声が飛ぶ。子供の頃に「耳や目の肥えた客が多い」と書いたのはウイーンで育ったシュテファン・ツバイクだ。ぼくの知り合いの何人かに一人は、役者志望で、「才能はあったが、諦めて親の跡を継いで」医者や弁護士や洋服屋や菓子屋になっている。

今回の版画はオット・シェンクとヘルムート・ローナの二人がNY(ニール・サイモン)の脚本を翻案してウイーンのヨーゼフ劇場で演じた『サニー・ボーイ』(『サンシャイン・ボーイズ』)の舞台だ。ウイリー(シェンク)とアル(ローナ)は43年コンビで成功して、喧嘩でコンビを解消した。身内が惜しんで手を尽くし11年ぶりに会わせた。再演すればテレビで放送する。二人は、よし組もうとも言わず、稽古の場を作るにも力を合わせない。ウイリーがテレビ受像機を動かそうと持ち上げるが、アルは手伝うフリすらしない。受像機の上で二人が睨み合い折り重なって頭をぶつける。客は笑い崩れ、同時にコンビの動きが滑らかなことに驚嘆する。

銅版画の黒線の上に紙版(かみはん)で色を差して貰った。刷り師はニスで固めた紙に青と黄のインクを乗せ圧をかけて刷る。版画の表にむらむらが生まれて色が混じるので、刷る度に境目が変わる。

シェンクとローナは互いに言葉で刺す。皮肉な眼差しと沈黙で渡り合う。友達のグスティが喧嘩芝居(ラウフェライ)と褒めた。双方の気迫はぶつかり、侵し合い、境目が動く。「あの二人は練習して動く。ローナが頭に落とす花瓶も、シェンクが壊す戸棚も毎回測ったように同じに割れる」(芝居好きで劇場に毎日通う老舗洋服屋の旦那グスティが小道具から聞いた話)。だのに何故か「舞台の表情は毎日違う」のだった。

2016年にローナが卒するとシェンクは追悼文を書いた。「愛情も敵意も、忠誠も不実もある魔術的な関係だった。彼は私を活かし、私は彼を利用し彼を光らせた。我らはバレリーナが手を繋いで足を挙げるパ・ド・ドゥに似た、優美な滑稽を演じてなお、喉に食らい付く印象を残した」と惜しむ。

ふたりは、下積み時代からフリッツ・コルトナーに目を掛けられた。ネストロイの喜劇で組んで人気を呼ぶ。ローナは「イエーダーマン」で看板役者を務め、シェンクはシェークスピアとオペラ演出で伝説的存在となった。しかし伝説になってなおローナと組みたがった。で、『サニーボーイ』の緊迫する舞台が生れた。シェンクはローナを「内気で含羞屋で、度を越して凄い。彼の輝きが出るまでひっぱる手間を惜しんではならない。先ずぶきっちょな演技で始まる。台詞は下手で動きは全部疑ってかかる。やがて奥から何かが、透けて来る。それが表に出て顔が躍動の動きを見せ、全身に広がる。彼の繊細な優しさ、彼の憤怒、それは混じりっけなしの金無垢だ。本物の黄金は心を蕩けさせる」と表現した。その瞬間を見ることが出来る映像がある。

コルトナーがローナを呼び寄せてシラーの『企みと愛』のフェルディナンド王子に抜擢した時のものだ。厳しい稽古の記録映像をザッハー・ホテルのエリザベート・ギュルトラーが見せてくれた。彼女のお惚気だったと思える。王子は商人の娘ルイーゼに惚れ込む。親に許されず宮廷で責められた王子は、永遠の愛を完成させるため、娘に教えぬままふたりで毒を仰ぐ。毒が娘に効き始めた時点で初めて、「喜べ、我々はふたりで天国まで旅する」と明かす。「この世にない至上の愛が完成する、素敵なふたりだろう?」と娘に共感を要求する。抑揚と調子を変えて何度も試みる。コルトナーは「違う!」と撥ねつける。ルイーゼに起用されたクリスティーナ・ヘルビガーは初々しい自然な娘を演じた。一方的で性急に論理を進めて跳ねる男に、娘は柔らかく寄り添うものの、その理屈は受け付けない。芯が強く頑固で自立した女性だ。最初の驚きの後では、男の子供っぽさを理解して受け止めはする。が、納得はしない。コルトナーの厳しい指示は、ローナに集中する。自然な調子で旨いとは思う。だがコルトナーは納得しない。彼の工夫は却下だ。娘の手を取って口説く動きまでやって見せる。ローナがやると、コルトナーは「そうじゃない、こうだろう? ニヒト? ローナ!」と叱る。「キミ自身、こうじゃないことは知っているネ?」とローナに確認するように見えた。更に抑揚を改良して、ルイーゼを抱く角度を変えたりする。その時、突然ローナがそれまでの彼とは全く違う、自分の声で話し始めた。それは本当にお前と出逢えて良かった、という喜びの他には、愛の論証も誠意の説明も何もいらないローナだった。そういった分別を捨てたローナだった。それは、ルイーゼの王子に寄せる信頼の気持ちが、客の目から見ても自然で納得できるやりとりだった。黙って見ていたコルトナーは、つまらなそうな当たり前の顔で、「そうサ」と言うと、平然と次の場面に進んでいった。

ローナとの掛け合いを、シェンクは「ユーモアのセンスが同じだから、台詞の受け渡しをまるで曲芸の跳ぶ方と受け止め役の様に交互に出来た」と評した。跳ぶ度に受け止め方が変わり、受ける度に跳躍の違いに気づくのも役者冥利だろう。シェンクはローナに許されて16区ヘルナールスの母親の家に足を入れた。「彼女のクラウト・フレッケルン(キャベツの甘酸っぱいパスタ)を振舞ってくれた」。「彼は母を隠したい気持ちもあったと思う。とっても簡素な婦人だからだろう。賢い婦人だった。彼女のパートナー(レーベンスゲフェールテ)はスタイルを備えたウイーン子だった。彼女は彼と私たちのために下町の狭い台所に入って、クラウト・フレッケルンを作った。それは招待された食卓ではお目に掛かれない下町の庶民の料理だ。こうしてローナの〈原初の時〉(出発点)を見たのは私の栄誉だ」。
役者冥利の一つは、仲間に入れて貰えることなのだろう。

 

田中映男(たなかあきお)

1947年、東京都生まれ。1971年、外務省入省。2010年にオーストリア大使を退職するまでの40年間に、海外の任地に8回勤務、80カ国以上を訪問。趣味は茶の湯、陶芸、銅版画など。