ときの酒壜|田中映男
8|牛男さん
夏草が伸びる頃、うちでは牛男(うしお)さんの話が出ます。その名前がついたのは、屏風のように立つ崖の下で夏草をはむ牛の親子を眺めていると、牛男さんが、どこからともなく、ひょっこり現れるからです。牛男さんはオーストリアのシュタイヤマルク州(スロベニアとの国境の土地)のリヒテンシュタイン家の山の牧で牛を見張ります。その顎髭を狙われ易いガムス山羊とか、リウマチの軟膏をとるために狙われるアルプスマーモットも見張ります。山の空気に変わりはないか見ているとボルフガング・リヒテンシュタインは言います。八割が山と森の土地には、岩から出現して娘を驚かせる山の魔物の歌があり、男に取り付く魔女の伝説が残ります。実はこの版画を刷った後で大瀧詠一さんの歌う「論寒牛男」を、1977年のナイアガラコンサートの中で発見して喜びました。
あちらは大西部のロンサム・カウボーイ、こちらの牛男さんは夏の間山の牧(ホーエアルム)に棲んで岩壁を昇り降りします。
花崗岩の山は八合目まで登ると、木の丈が低く、草原と高山植物の花畑になります。州法でこの高さでは牧畜以外の用途では車も機械も持ち込めないので、山と森の管理に放牧は欠かせません。牛を山に上げる時期は毎年L家の森番と牧畜組合の理事長の間で相談です。早ければ飼料は浮きますが、牛が若草を食べ過ぎれば降る雪と地面のすき間に空気が無くなり、大きな雪崩が心配です。草原に立つ白骨は雪崩で折れた針葉樹です。遅ければ草は伸びて固くなり牛は見向きもしません。下生えの高いのは木に良くありません。森は夏一番肥える季節で、牛は子を産んで五百頭が六百頭に増えます。放牧料の計算は森番と理事長が、森と牛の肥育を見て交渉します。六月何日から上げるか決めたら、牛男さんが連れて昇ります。牛も楽しみで、道を知る牛は我先に登ると聞きました。
「遊びにおいで、山小屋は天井が低くて頭ぶつけるよ」と招かれて、夏の間ボルフガングの山荘に泊めて貰いました。村人が山仕事するための納屋を改造して快適になっています。朝は谷から来る霧に包まれて黒パンとバタ、コーヒーと夫人のイエリ手作りのプライゼル苺(コケモモ)のジャムを頂いて出発です。イエリの車と二台で上がります。私有地の入口に表示はありますが強いて注意しないので登山客が登ってきます。牧まで行くと牛が我が物顔で主人公です。仔牛が母牛と何か鳴きあうので、ぼくも見詰めたら父牛が前に来てのっそり立ちました。警戒して視野を遮ったのです。
屏風岩の滝から始まる小川を褒めて振り向くと、髯面男が立っていた。双眼鏡でワシでも眺めているフリをします。油断をついて一気に近付いたようで、牛皮ズボンに牛皮上着の髭面男は三段跳びで現れました。「彼が言うには、滝口からついに見つけた、キノコ泥だって」と、イエリが小さな声で教えてくれました。「びっくりしたでしょ? お嫁に来てネアンデルタール人に出会った時、驚いたワ。彼は小屋に寝泊まりして、何でも知ってる。牛全員を名前で呼ぶわ、樅の1本石の1個の顔まで覚えてる、崖で塩をなめるガムス山羊まで愛しているわ」。この後彼はぼくらを見張るようです。先回りして、けれどけっして姿は見せない処は昔話の山の妖精と同じです。
見晴らし台には食堂があって村人が軽食を食べられます。ボルフガングはツベチケ(李)の火酒シュナップスを村人全員に奢ります。ここで隣家とは谷を隔てて向こう側の数軒になるので、留守の間は村人が山荘に異変が無いか見張っているのです。そういう合間にも、森番の嗅ぎ煙草に目を付けて、「少し頂戴、アキオも欲しいか」と厚意をお願いして会話を始めます。右手で拳を作って、人差し指と親指の間に出来る窪みに、ちょっとだけ嗅ぎ煙草を乗せて貰います。ぼくも鼻を近づけて鼻孔にフッと吸い込むと、粘膜がピリリとします。そして「今年の夏の森の木の育ち具合はどうかね」と評価を交わすのです。
噂の後は合唱です。シュタイヤマルク地方の方言は難しいけれど歌うふりして混ざりました。
その夏は、終わりに異変が起きました。
牛男さんが「どうも悪い女にやられ」たらしいというのです。「自称希臘人の女マッサージ師」が魔法で魂を抜いた、と。女と共に消えたので村人もぼくも心配をしたのです。食堂で皆が相談する前に連れ出したようです。何のために? 或る人は解説します。「ソノ女は言い伝えを信じて、屏風岩の中にある見えない城の財宝を取りに”赤子の魂を持った男”を使うのではないか」と。
翌年夏牧に上がったら、牛男さんは居ました。憑き物が落ちたようで岩場を撥ねています。誰も何も言いません。その年牧で仔牛が脚を折りました。事故もあって彼は忙しそうでした。夏の終わり、ボルフガングとイエリと村人が食堂に集まって、揚げたてドーナッツを燃やした焼酎で煮立てる熱々のシュナップス・クラプフェン、という地元のオヤツを振舞ってくれました。本当に熱くていっぺんに酒が回りました。
最後に皆でシュタイヤマルクの方言でフウベルト・ゴイセンの作曲した「ダ・ズンマ・イス・アウシ夏は終わり」の歌を合唱しました。歌詞の三番頃には、牛男さんの姿が消えました。「かれ本当に泣くから、恥ずかしいのね、きっと」イエリが言います。
ダ・ズンマ・イス・アウシ(夏さ終わり)
夏は終わり おいら 谷へ降りる
ピアット・エンク(サヨナラ) 山羊の崖 神に感謝
ピアット・エンク(サヨナラ) お花畑よ 神に感謝
牧の音は消え 静かで鳥も啼かね 雪風さえ吹く
おいらの小屋は狭いけれど 神に感謝
悲しい事嬉しい事なんべんでも小屋にやって来た
美しく咲いた一千の花 こんなに顔見知りになるなんて
今日の今日ほど こんなに別れが辛くなるなんて
まるで今日は最後の日のよう
おいらやっぱ土に戻るんかい? 眠るんかい?
そしたら おいらを山の岩で蔽っておくれ
そしたら おいらを山の花で蔽っておくれ
田中映男(たなかあきお)
1947年、東京都生まれ。1971年、外務省入省。2010年にオーストリア大使を退職するまでの40年間に、海外の任地に8回勤務、80カ国以上を訪問。趣味は茶の湯、陶芸、銅版画など。
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