ときの酒壜|田中映男

9|バルカンの人と文化


 

「閣下ちがうんです。こんな無責任な報告は間違いなくバルカンの情報です」
 だから私無関係です、と言い出しそうな顔の属僚をメッテルニヒが叱った。
「バルカンは、既にこの扉の向こうから始まってるよ」

 バルカンはウイーン南方のどこかに始まる。ハンガリー大平原から吹く風はウイーン人を不安にさせる。その方角からは昔も今もアジア異民族が襲来する。軍勢は動く時、大量に馬羊犬を連れる。バルカン回廊にはシャル山系とタタラ山脈があって進軍は遅れ、マケドニアとコソボに牧羊と狩猟の文化を残した。

 ハンガリー平原まで来たマジャール民族は目を奪うような軍服と軍器の文化を持ち、儀式のために楽人を連れて来た、北インドからジプシィも来た。「楽器のツィタと珈琲占いも伝わった」と補足したのがロウハン大使だった。紹介してくれた夫人のモニカが、牛男さんのリヒテンシュタインのイエリの親友で、ボルフガングが出演する旧貴族の素人劇団で衣装と演出を担当していた。大使はバルカンに通じEUのコソボ和平案を起案した。枝葉が絡まり迷走するコソボ紛争の根元を教えてくれた。異民族が波のように繰返して来寇し、外交で軍勢を搔き集めて盟主になる。歴史を聞いたぼくは、「成程ハンガリーがバルカン盟主の坐を狙う筈だ」と評してしまった。「失礼だね、ボクの母はハンガリーの伯爵家の出だよ!」睨んで、けれど可笑し気に笑って言われた。「当り! けれども、バルカンの民族間の誇りの競争に気を使うんだよ」と教えてくれた。

 ウイーンのソーレという料理店はオペラ公演の後舞台関係者で一杯になる。仲良くなったアキ・ヌレディーニは、オデッサに出てザグレブを経てウイーンで成功した。成功して故郷のマケドニアにウイーン風の豪邸を立てた。マケドニア大使(兼任)の君に見せると誘われた。行ってみたらシャル山の麓で、散歩の途中に山で羊を飼う幼馴染を呼んだ。その友は毛糸の塊のような大型犬を五、六頭連れて降りて来た。仔牛程の犬に跳び付かれると倒れる。皆、顔を擦りつけてくる子犬だった。彼が言うには「シャル犬は一番勇気のあるアルファ犬をリーダーに序列を作り狼と闘う。狼に囲まれると羊と羊飼いを護るため二手に分かれて闘う。鳴かず吠えず、無言で狼と噛み合う。他の犬種と遺伝系統が違うことが分かった。狼に最も近い。冬、羊を盗りに来ると雌犬を襲う事がある。雌犬から混血の仔が生まれると攫いに来ることもある。狼の長になったのもいた」。子犬に囲まれて雪山で集合写真を撮影した。その晩、夢で狼の子になった。

 どうも今晩は大人だけの集会らしい。父は山高帽をかぶり門柱の前で出迎えた。服も帽子も継ぎが当り百年前のウイーンの品と伝わる。子供は大人のやる事なら見たい。でも出れば叱られるから中で年の順に立って待つ。母は食糧庫だ。棚のマルメロの瓶詰を出し黄金色の実の浸かった漬け汁を湯のみの白湯に数滴たらす。昔先祖はコーカサスの民族アディゲ人に仕えて、カスピ海の森でクインスの実を手に入れた。ギリシャ神話とグリム童話に黄金の林檎として登場する実だ、蜂蜜漬は歌う喉を養生する。今宵は狼と犬と人の古い戦の歌謡が一くさりづつ披露される。

 橄欖樹が門柱で、客が枝をくぐって到着だ。月が昇り、靄の中を遠い麓の寺の鐘が響いて来る。一番はアユル叔父だ。父のすぐ下の弟で笑わない。けれど愛嬌があって子供に好かれる。闘いで退いたことは無い。二番目は犬目のイナル叔父だ。母犬の目を受け継いだ。牧羊犬は狼の子を生む事がある。ぼくの母アレも混血だ。生まれてすぐ祖父アスランが、つまりアレの父だが、村から咥えて来た。次が白房のイダール叔父。お洒落で遠吠が長いから憧れる。その次に白目のサミ爺様が来て、後は十頭以上が一緒だ。父は一頭づつ挨拶をして母に紹介した。母が席まで案内してマルメロ湯を出す。子供たちはしまいのお客が着座するまで待つ。これが仕来りだ、とアユル叔父が言う。その晩良かったのが、イナル叔父に合わせたアテラ叔父のバスの連唱で、伝説の地上の獣と空の鳥の闘いを謡った。大人は皆礼儀正しく控えめで子供に優しい。狼の連唱は高く通って雁の群れは乱れて逃げた。そしてサミ爺様がアルファ犬と噛み合う話をした。珍しい事だ。「一度羊飼いを護る犬と首を噛み合った」。子供たちは爺様の耳が一つなのを知っている。相手は牧羊犬首座のアルファ犬だった。腹の座った犬で、属犬を目で去らせるとワシを狙って噛みついた。もうこの首は貴様に呉れてやる、たしかにそんな風だった。首を預けて来た。だが首に鉄条網を嵌めていて、曲げた鉄釘が飛び出ていた」。
「じゃ牙がツカエテしまいます」父が聞いた。
「俺も相手も力を入れて噛んだ。鳴いて逃げるかと思った。その時アスランが加勢に来た。俺は言ってやった。お前は羊に行け。この犬のたて髪の血は俺の首からだ。俺の顔の血は犬の怪我だ。アスランが去って、俺は気が遠くなった。闘いが終わってみれば、俺も相手も死ななかったよ。互いに命を助かり、互いにご先祖に感謝して去ったよ」。

 

田中映男(たなかあきお)

1947年、東京都生まれ。1971年、外務省入省。2010年にオーストリア大使を退職するまでの40年間に、海外の任地に8回勤務、80カ国以上を訪問。趣味は茶の湯、陶芸、銅版画など。


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