ときの酒壜|田中映男

2|焚火の後に


 

南太平洋のトンガ王国は、島の多い国だ。その数は170以上。ヘリコプターで回って、日本人がツアーで行きたくなりそうな場所かどうかを見て回った。絶海の島の崖下には、ひと気のない静かな浜と青い岩礁が並んでいたが、同行した観光の専門家によれば、観光地としてはあまり見込みがないとのこと。

そもそも、ぼくがトンガに来たのは、この国のために日本がどんな支援ができるかを探るためだった。

空から島を回った夜、皇太子から中華レストランに招かれた。最初に、君は田中少将(タナカ・ザ・テネーシャス)の血縁かと聞かれ、彼が太平洋の海戦史に詳しいことに驚かされた。東京の地理にも明るいのは、故三笠宮殿下との交際によるもの。「赤坂でダルマを二人で空けました」と懐かしそうに語る。老酒を呑みながら、皇太子から怖い話を聞いた。

台風の後には様々なものが浜に漂着する。島々の間を漂い、椰子の木にのぼって下を通る人に取り憑いて操るものがある。死んだ船乗りの霊だ。全身が黒く、怪力なのですぐにわかるらしい。そんな話の途中、扉がバタンと開いて風が吹き込んだ。黒い女性が食卓に加わった。黒髪、黒づくめ、無口で影が薄い……。

彼女は貴族の令嬢で、皇太子のお妃候補だった。トンガは母系文化だから、令嬢の方が相手を選んだというが、どうやら皇太子の希望とは違っている様子で、ちょっと怖くて気まずい三人の会になってしまった。

翌日は、浜辺で焚火料理を振舞われた。砂浜を掘る者、捕った魚をバナナの葉でくるむ者、火をおこす者……島民総出だ。焚火に石を抛りこみ、赤く焼けた石に魚包みを積んでいく。その後、砂を被せ焚火をして、串ざしの子豚を熾火の上で回して焼く。すらりと細い二人の美人が、指揮を執っていた。黒い細身のニューヨーク風ドレスで、雰囲気が他の人と違う。

ぼくは途中でいったん失礼して、小学校と幼稚園を回った。母親と子どもたちでいっぱいだった。白黒黄色様々な人種の子どもがいる。父親は異国から来たのだという。「台風の後にはまた子どもが増えますよ。校舎からあふれ、軒下での授業になります。母親がトンガ人なら子どもは全部トンガ人です。伝統は母が娘に伝え、男兄弟は姉妹の指図に従い、姉妹の長女が家のリーダーです。今日の焚火料理も皇太子の家の叔母姉妹が指揮しています」とのことだった。

浜辺に戻ると、件の二人の美人がぼくの前にやって来て、妹がレイをかけてくれた。姉からは、「今夜風は柔らかく星空が大きい、島の神が遠い国からこの島と島民に逢いに来た客を歓迎している」とのスピーチ。熾火の上で、子豚は香ばしく焼けた。最も大切な客には、耳の後ろをサーブするのが礼儀らしい。パリパリでおいしかった。続いて焚火の前でのダンスの披露。それから皆で、世がふけるまで踊った。

帰りの機内では、それまで読む時間が取れなかった『トンガ 歴史と文化』を読んでみた。英豪の専門家が体験から綴った報告書だ。「トンガは母系制社会で、父方の叔父より母方の叔母が上で、親族中で最も発言権があるため、客を歓迎する」とあった。あの美人姉妹は皇太子の母方の叔母だったのだ。「未婚の娘は結婚する相手を見つけたら、花束でレイを編んで男に捧げる。結婚が決まれば焚火の前で、独身最後のソロ・ダンスを神に捧げる」ともあった。思わず、ぼくは吐息をついた。飛行機が急に揺れた気がして、座席の中でもう一度座り直した。

 

田中映男(たなかあきお)

1947年、東京都生まれ。1971年、外務省入省。2010年にオーストリア大使を退職するまでの40年間に、海外の任地に8回勤務、80カ国以上を訪問。趣味は茶の湯、陶芸、銅版画など。