忘れものあります|米澤 敬

4|寿司で迷子


 

はじめてお寿司を食べた日のことは、いまでもよく覚えている。小学校に入るだいぶ前のことだ。遊びに出かけようとする幼稚園児に向かって、母親が突然「今日はお寿司だから、早く帰ってきなさい」と告げた。

当方に、寿司とはどのような食べ物であるかという具体的な知識はなかった。小さなご飯のかたまりの上に、生の魚が乗った、色鮮やかな小さな食べ物といった程度である。そのイメージはチョコレート・ボックスや宝石箱とも隣合わせで、無知な幼稚園児は浮き足立った。

何しろ我が家は、北関東の地方都市に位置する。現在ほど冷凍流通が発達していなかったこともあって、食卓に刺身がのぼることはなかった。魚料理といえば、秋刀魚の開きや鯵の干物、それに塩鮭くらいのもので、ごく稀に鮎の塩焼きが献立に加わった。一度、鯉こくが出されたことがあったが、母親が活きた鯉をまな板の上で捌く一部始終を目撃していたため、なんだか恐ろしくて箸を伸ばすことができなかった。やはり母親が鶏を締めて羽をむしって屠る場面にも居合わせたことがあるが、その時は水炊きを美味しくいただいたので、ガキの食欲と殺生とがどんな関係にあるのか、よくわからない。

ともかく寿司は不思議な食べ物である。縄文文化と弥生文化の融合であるとする、梅原猛のような人もいる。そもそも刺身というものがほぼ日本独特であるらしい。カルパッチョというものも、近年の創作であり、元来は牛の生肉料理であるとのこと。

最近、日本の食文化の歴史を少々齧ったのだが、平安時代の宮廷宴席料理である大饗料理は、料理といっても単に茹でたり干したりしただけのものであり、魚介類は基本的に生、つまり刺身である。それらを食べる側が塩や酢などで味付けして口に放り込んでいたようだ。そんなものが宴席料理なのかとも思うが、昨今では山奥の温泉旅館の宴席でも刺身は欠かせない。正月でも結婚式でも、あろうことか近年では葬式でさえ、生魚、つまり寿司や魚が出される。もちろん食べ方は平安貴族とさして変わらない。どうやら生ものを自分で味付けして食べるというのが、日本の食の基本であるらしい。自己調味ということなら、生ものに限らず天麩羅や蕎麦や鍋だって同じことだ。同じ料理を食べていても、日本では多くの場合、人それぞれに味わいの内容は違っているのだ。蕎麦をつゆにたっぷり浸そうが、山葵だけで食べようが、何の問題もない。問題はないが、それは西洋料理や中華料理の基準からは、もう別の料理になっているような気もする。もちろん一般的な握り寿司だって同じである。

話を戻す。はじめての寿司体験への期待で浮き足立った幼稚園児は、そのまま友人の家に遊びに行くでもなく、家の近所をぶらぶらしていた。幼稚園児にぶらぶら歩きは似合わないような気もするが、当時はガキの単独行動にはかなり鷹揚だったのだ。しかしというか、案の定というか、幼稚園児は迷子になった。迷っている時間がどれほどだったのかは定かではないが、何とか自力で自宅にたどり着いた。以降、「寿司」という言葉を聞くと「迷子」に結びついて、不安になる。内心の動揺を抑えつつ家の玄関をくぐると、甘い香りが漂っていた。なるほどこれが寿司の匂いなのかと得心しつつ食卓を見ると、そこには大皿いっぱいに盛られた稲荷寿司があった。

 

米澤 敬(よねざわたかし)

群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員、中学校では放送委員をつとめ、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。