忘れものあります|米澤 敬
5|蔵の中の森
10年以上前のある日、知人の勧めで、写真展に出かけた。滅多にないことである。そもそも写真の良し悪しを判断する自信がない。周辺のカメラマンたちが、ほとんど同じ構図、同じ露出であるにもかかわらず、複数のプリント、あるいはポジフィルムから「この一枚」を選び出す、その基準と自信が納得できなかった。もちろん好きな写真というものはある。それでいいのかもしれないが、「好き」と言い切れる写真に出会うのは、それはそれで難しい。世間や他人の評価が邪魔をする。
件の写真展の会場は、蔵を改装したギャラリーだった。写真家の名は初見である。その写真展を勧めてくれた知人も、どちらかというと蔵を改装したギャラリー空間の方に「お勧め」の力点があったようだ。身近に蔵のあるような家がなかったため、蔵という空間には漠然とした憧れがあった。見たこともない典籍や道具が埃をかぶっていたり、主となった大きな白蛇が蹲っていたり、お姫様が幽閉されていたり……と妄想はどこまでも広がってゆく。
ところがこのとき訪れた蔵のギャラリー空間のあれこれについては、全く覚えがない。ただそこにはモノクロームの日本の森があった。森の湿気や匂いがあった。一瞬で写真に魅了されてしまったのだ。気がつくと会場にいた写真家本人に話しかけ、当時関わっていたペーパーメディアへの作品提供を依頼していた。
その写真家、志鎌猛さんは、1948年生まれで、写真家になったのは50歳を過ぎてからだ。蔵での個展以降、アメリカやヨーロッパの森にも入り、撮影を続けている。
印画と印刷は、似ているようでいて、まったくの別物だ。だから志鎌さんのプリントをオフセット印刷で再現するのは至難である。作品を提供していただいた際には、印刷所に何度も駄目出しをし、最終的にはダブルトーンで階調を再現したが、やはりオリジナル・プリントの気配までは表現できなかった。
あろうことに志鎌さんは、その後、銀塩からプラチナ・プリントへと手法を移行させた。現在は、雁皮紙にプラチナ・プリントが基本である。これではオフセット印刷での再現はほぼ不可能である。
不可能であることは承知の上で、一度、志鎌さんの作品集を作った。ドイツのシュタイデル社のコンペティションのための、世界で一組だけの本である(「百の肖像」と「水のかたち」の2冊セット)。印刷・製本の職人たちの協力を得て、印画紙として使用しているものと同じ和紙に刷った。まずまずの出来ではあったと自負してはいたが、コンペティションでは入選を逃してしまった。
その時の作品から一枚選ばせていただいたものが、いま手元にある。雪をかぶった小さな樅の木の写真だ。その一枚が、我が家のクリスマスツリーになっている。なぜかその選択には、まったく迷いはなかった。
米澤 敬(よねざわたかし)
群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員、中学校では放送委員をつとめ、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。
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