気取らず 威張らず|清野恵里子

15|伝えるということ


 

 花を生業とする若者が時折やってきては、我が家の様々な器に花を生けてくれる。暮れも押し迫った頃、玄関の壺に餅花が飾られた。
 平安とおぼしき壺が我が家の一員に加わってから、かれこれ四半世紀になる。それまで馴染みのなかった「珠洲」という土地の名は、この壺とともに記憶に刻まれた。
大雨や地震など度重なる自然災害に見舞われ、なかなか復興の目途の立たない能登半島の、北に位置する珠洲。すぐお隣の能登町の一角に、合鹿という名の集落があり、現代の木工、漆芸の作家たちが、繰り返し手本とする合鹿椀は、かつてこの地で作られた。

川真田克實作、合鹿椀


 黒い漆の皿がある。骨董屋の主人は、その皿を「合鹿椀」と呼び、時代は「室町はある」と言った。業者さんたちは、「はある」、そんな面白い言い方をする。
 艶やかな真塗の漆のようなよそ行きの顔をしていないので、ついついぞんざいな扱いをしてしまうのだが、食器棚の隅に数枚重ねられた漆の皿には、何か風格のようなものが感じられて、何かと食卓に登場する機会も多い。
 「合鹿椀」と言われたものの、どう見ても「椀」ではなく「皿」である。
 出自のわからぬ黒漆の皿と、珠洲の古陶。一度も訪れたことのない能登の地に縁(えにし)を感じて心が動いた。

 前々から気になっていたこの皿の出自について、調べてみようと古本のサイトで「合鹿椀」を検索すると、たった一冊、骨董雑誌「小さな蕾」の2007年8月号にヒットした。
 取り寄せた冊子の表紙には、「古き能登のかたち 合鹿椀と珠洲古陶」の文字があった。
 姿の良い珠洲の壺や、いかにもというおおらかな形の合鹿椀の写真が並ぶ骨董雑誌の特集ページの最後に、能登の柳田村が編纂し、刊行した『合鹿椀』という書籍があり、能登町役場内の担当部署で購入できることが記されていた。
 20年近く前の骨董雑誌の情報であったが、記載されていた番号にかけてみると、今も入手可能であり、書籍代に送料を加えた代金を現金封筒で送るようにと、電話口の向こうの長閑な声が答えてくれた。
 数日が経って、想像していたよりもずっと立派な『合鹿椀』の本が届いた。

 巻頭の言葉によれば、郷土が誇る合鹿椀の記録を残そうと、平成元年より5年の歳月をかけて編纂されたものであるという。
 外箱に貼られた漆黒の題箋に朱で力強く書かれた合鹿椀の文字から、この一冊に込められた地域の人々の思いが伝わってきて、原寸大でレイアウトされた、いく世代もの合鹿椀に圧倒された。

 『合鹿椀』刊行にあたって、中心的な存在であったと思われる、漆工芸の研究者であり、『名椀百選』の著者でもある荒川浩和氏が、合鹿椀の検証の結果をこんな言葉で結ぶ。

 合鹿椀は独自の発生展開を成した椀であると見做してゐる。欅の良材に恵まれた地区に於いて木地師やこれと関連のある集落の中で、自らのために自らの手によって作り出した漆の椀、それが合鹿椀である。日常の食生活に最小限必要な形式の飯椀と汁椀、実用に耐へ得る堅牢な造り、手近に求め得る欅・渋・漆を用ゐた簡素な工法等、合鹿椀の性格を端的に物語るものである。(「合鹿椀系譜考」荒川浩和)

 散逸した合鹿椀を丹念に収集した郷土史家が、巻末に寄せた文章の中に印象的なくだりがあり、石川に隣接する福井生まれの作家水上勉の小説の冒頭の数行を思わせた。

 半島能登にありながら尺寸の海岸線もない内陸村の鳳至郡柳田村は、東に宝立、西に鵠巣・鉢伏の二大山塊に挟まれ、東西の山麓が相接するあたりに位する純山農村である。この村で最後まで製作されていた集落名を冠し、合鹿椀と呼ばれる古椀が遺されている。(「合鹿椀について─能州木地師の足跡をさぐる─」原田正彰)

 実は『合鹿椀』の本を入手する少し前に、件の黒漆の皿を、木漆、木工の作家の方や、輪島の木地師の方に送って見ていただいた。
 「合鹿椀ではないと思う。時代はもう少しさかのぼって室町あたり。黒漆の下に下塗りの朱がのぞく。高台の朱の文字の様子からもいわゆる「上手(じょうて)」のもの、寺の調度ではないかと思われる。」ほぼ同様の見解が寄せられた。
 そうして手元に届いた『合鹿椀』。掲載されたいくつもの合鹿椀の、迫力と素朴な美しさに見惚れた。
 我が家の黒漆への愛着は断じて少しも揺るぐものではないが、残念ながら「合鹿椀」とは無縁のものであると納得した。

 柳田村編纂の『合鹿椀』の最後には、合鹿椀をめぐる人々の記憶の聞き書きや、柳田村の四季折々の景色、大切に伝承される行事などがつづられている。
 読み終えた『合鹿椀』一冊には、そこに暮らした人々の郷土への誇り、「伝える」という強い意志がぎっしり詰まっていた。

 

清野恵里子(せいのえりこ)

群馬生まれ。文筆家。伝統芸能や、古美術、工芸、映画など、ジャンルを超えて、好奇心のおもむくまま、雑誌の企画、執筆など続ける。独自の美意識に基づくきものの取り合わせは、多くのきもの好きに支持される。『咲き定まりて 市川雷蔵を旅する』、『時のあわいに きものの情景』など著書多数。


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