書架の園丁|橋本麻里

2|図書館でお茶を


 

本を読む傍らに、丁寧に煎れたコーヒーやお茶があると読書がはかどる。何なら本に合わせて飲み物の種類を変えてもいい。偏愛する作家の一人、梨木香歩が、カヤックで湖や川をわたっていく折々に見たもの、感じたことを綴ったエッセイ集『水辺にて』(筑摩書房、2006)なら、生のミントの葉をたっぷりと奢り、清涼な青い香りでむせ返るようなミントティーがいい。岩本馨『明暦の大火 「都市改造」という神話』(吉川弘文館、2021)は、明暦の大火後に江戸の街並みが一新された、とする言説の当否を改めて詳細に調べ直し、第26回建築史学会賞を受賞した労作だが、これは松葉の燻香を鼻先で感じる中国紅茶、ラプサンスーションくらいパンチのあるお茶が合いそうだ。

そんな「ブック&ドリンク」ソムリエが常駐するカフェがあるなら入り浸る(むしろ就職したい)ところだが、なさそうなので、「森の図書館 喫茶部」と称して喫茶活動に日々勤しんでいる。「お三時」のティータイムくらいは格好をつけ、器をあれこれ見繕ってはしつらえを楽しんでいるのだが、普段はデスクの四方に聳える未読本の山が崩れてきても容易に転倒しないマグカップで、緑茶・紅茶・中国茶をがぶ飲みしている。

わが「森の図書館」公式マグカップは、ペンギン・ブックスのもの。ホワイトにオレンジやグリーンを組み合わせたツートンカラーに、ペンギンをあしらったペイパーバックのデザインは、馴染みのある方も多いだろう。文学から哲学、法学、美術、宗教、自然科学……と、あらゆるジャンルにわたる古今の優れた著作を、廉価な普及版として刊行する。いわゆるモダンペイパーバックの先駆けは、1867年に創刊され、後に岩波文庫が範としたドイツのレクラム文庫(正式にはUniversal-Bibliothek:世界文庫)だが、その規模によって出版界を大きく塗り替えたのは、1930年代に刊行されたイギリスのペンギン・ブックスだ。

価格は煙草10本と同じ6ペンス。さらにフィクション(オレンジ)、ミステリー(グリーン)、旅行(ピンク)、伝記(ダークブルー)、戯曲・脚本(レッド)、文学・エッセイ(パープル)、国際関係(グレー)、雑記(イエロー)と、ジャンルがひと目でわかる配色を施し、愛玩するためではなく、本を選び、読むために機能するブックデザインを採用する。本を所有し、読むことが貴族や富裕層の特権ではなくなり、知が大衆のものとなっていった、その代名詞的な存在だ。

ツートンカラーのブックデザインは、ペンギン・ブックスでも初期、そのイメージを決定づけた、1930〜60年代刊行のものに限られる。このデザインを崩すことなく、見事にマグカップへ写し取ったものが、わが家に揃っている。美術館・博物館での「体験」のよすがを持ち帰るのがミュージアムグッズなら、このマグカップは「ライブラリーグッズ」とでも呼べようか。ただ人気のあるデザインを右から左へコピーしたという話ではない。同一のフォーマットのなかに、あらゆる種類の教養、あらゆる種類の娯楽を収め、書物をラジオやテレビに対抗できるマスメディアにまで巨大化させた、知の大衆化のシンボルは、優雅な茶会で供される高価な揃いのティーセットとは異なる、安価で丈夫なマグカップのデザインとしてこそ意味を持つ。

読書貴族ならぬ、日々草むしりに勤しむ書架の園丁の喉を潤す茶器に、これほど似合いのデザインがあるだろうか。館長と司書長が揃って人見知りのため、滅多に訪問者の来ない図書館だが、たまの来客には好きなカップを選んでもらっている。

ちなみに「ブック&ドリンク」ソムリエ(仮)としては、会計前の本を持ち込めるタイプのブックカフェは感心しない。日本で流通する本の大半は、委託販売制度に則って販売されているから、出版社は問屋である取次会社を通して、小売店である書店に本を委託し、売ってもらっている。売れずに一定期間が過ぎると、書店は取次を通じて出版社に本を返品できるため、返品制とも呼ばれる。つまりカフェで汚されてしまっても返品できるから書店の負担は実質ゼロ、というわけだ。出版社は返品された本について、カバーや帯が汚れている場合はそれを新しいものに取り替えて再び出荷するが、本文にコーヒーでもこぼされたら、廃棄するしかない。もちろん返品が多すぎると取次から新刊の入荷数を減らされてしまうなど、書店側のペナルティもないわけではない。だが、大衆のための知を軽んじ、「書店部分はカフェの客寄せ」程度にしか考えていない店には近寄らないのが正解だ。

 

橋本麻里(はしもとまり)

日本美術を主な領域とするライター、エディタ ー。公益財団法人永青文庫副館長。金沢工業大学客員教授。新聞、雑誌への寄稿のほか、NHKの美術番組などを中心に、日本美術の楽しく、わかりやすい解説にも定評がある。多くの展覧会企画を手掛ける中、著書には「かざる日本」(岩波書店)など多数。