忘れものあります|米澤 敬

34|「雨」の不可解


 

両親ともに賭けごとが嫌いだった。株のたぐいも賭けごととみなしていっさい手を出さない。酒も二人とも飲めないわけではないが、酔っ払ったところは見たことがない。父親の方が若い頃どうだったのかは、ちょっとあやしい。飲む打つ買うの三拍子に耽溺していたフシもある。そんな両親のもとで育ったにもかかわらず、高校時代は休日のたびにある住職の息子の家(つまり寺)で、麻雀ばかりやっていた。徹夜も珍しくはなかったし、たいして飲めもしない酒を飲みながらということもあった。オリンピックや高校野球ならば即刻アウトである。大学生になってからは、仲間と連れ立ってパチンコ屋に通い、煙草代や酒代を工面したものだ。その後は一時期、先輩編集者のオフィス兼住居で、カードゲームにふけりつつ年末年始を過ごしていた。

この9月は久しぶりに中秋の名月なるものを、ぼんやりと見上げる機会があった。秋の気配を感じることもなく、古人の歌に想いを馳せることもなく、なぜか花札の「薄に望月」のイメージにとらわれてしまった。
花札の意匠は謎だらけだ。デザイン自体は、その起源となったトランプやタロットよりもずっと優れていると思うのだが、花札で遊んでいた頃から釈然としないことがたくさんあった。1月の松には鶴よりも鸛がふさわしい、2月の鶯の絵柄はどう見ても目白である(鶯は茶色であるが、これは緑色の高麗鶯であるとする説もある)など、文句をつけようと思えばいくらでもある。いわゆる赤短の「あのよろし」や「みなしの」の意味もわからなかった。本当は「あかよろし」と「みよしの」であり、前者は「なんとも素晴らしい」の意、後者は「吉野山」で桜札の枕詞のようなフレーズだった。

ご存知のように、花札は旧暦1月から12月までの1年を「松に鶴」「梅に鶯」「桜に幔幕」「藤に時鳥」「杜若に八橋」「牡丹に蝶」「山萩に猪」「薄に望月(雁)」「菊に盃」「楓に鹿」「柳に小野道風(燕)」「梧桐に鳳凰」の花鳥風月で彩ったものだ。しかし誰が見ても11月「柳に小野道風(燕)」と12月「梧桐に鳳凰」は、季節が合わない。12月の桐はどうやら「ピンからキリまで」の語呂合わせで、1年の最後だからキリであるらしい。そこに桐に棲まうとされた鳳凰を組み合わせたのだろう。鳥の王である鳳凰を1年の「オオトリ」に持ってきたというのも理屈には合う。

ならば雨はどうなのだ。冬には花がないからやむなく雨にしたともされるが、説得力に欠ける。松や梅があるのだからここらあたりに竹を配してもいいし、椿でも許せる。そもそも雨といえば梅雨(五月雨)なのだから5月が順当だと思う。燕だって11月はおかしいし、妙に黄色いのも気になる。柳の枝に飛びつく蛙も11月には冬眠中だ。花札に登場する唯一の人間である小野道風にしても、特段この季節にかかわりは見当たらない。実はこの雨札の人物は、明治時代までは忠臣蔵に登場する悪役、斧定九郎であり、番傘をすぼめて雨の中を駆ける姿だったという。ただ、忠臣蔵成立以前から番傘男が描かれていたので、斧定九郎とするのは後付け説なのだろう。


この雨の謎を解くヒントは光札(20点札)ではなく、カス札にあるとする説がある。12月の鳳凰と対応する龍の札だとするものだ。なるほど龍神は、水の神、雷雨の神でもあり、カス札をよくよく眺めてみると、確かにそこには龍の爪や雷神の太鼓らしきものが描かれている。このカス札は、ゲームによってはスペードのエースやジョーカーのようなオールマイティ・カードにもなるところも意味深だ。
……とまあ、いまのところはこのあたりで納得しておくしかないのだが、やっぱりあんまり腑に落ちてはこない。花札の意匠、いったいどんな人物が何を仕掛けてつくりあげたのか、今度はそんなことが気になってきた。


米澤 敬(よねざわたかし)

群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員をつとめ、中学校では卓球部、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。