忘れものあります|米澤 敬

37|床の間の風


 

親戚に表具師がいた。母親に連れられて、東京麻布にあったその仕事場を何度か訪ねたことがある。いま思うともったいないことだが、当時はまったく表具や表装には関心がなく、その表具師のオジサンから教えてもらったのは、モリソバとザルソバの違いくらいだった。

掛け軸に関心を持つようになったのは、そんなに古い話ではない。美術館や博物館に出かけても、書画そのものしか見ていなかった。要するに軸装は、西洋美術のタブローの額縁のようなものだと思い込んでいたのである。ただし、展示図録などでも軸装まで載せているものは少なく、たいていは「本紙」部分のみがトリミングされているから、一文字や中廻しの裂の取り合わせなどに眼が向かなかったのも、無理もないのかもしれない。
西洋美術史に造詣の深い友人から聞いた話では、勃興期の印象派の作品はともするとゲテモノ扱いされ、なかなか買い手がつかなかったので、ある画商がロココ調にしつらえた部屋に顧客を招き、作品を金ぴかの額縁に収めてその「商品性」をアピールしたという。もしかすると日本古美術の世界でも似たようなことはあるのかもしれないが、基本的に額装と軸装はまったくの別物であるようだ。

そんな掛け軸で、気になっていることがある。風帯である。モノの本によると、風帯の起源は中国にあり、かつては驚燕(きょうえん)や払燕(ふつえん)と呼ばれていたという。つまり屋外に軸を掛けたとき、これを風にそよがせて、燕避け、鳥の糞避けにしたというわけだ。案山子ではあるまいし、いまひとつ納得のいかない説明である。一説に、寺院などの幡の幡手がプロトタイプであるともいうが、こっちの方が説得力がある。日本古来のものでは、紙垂に近いのかもしれない。

幡の構造図

風帯で気になるのは、美術館でも床の間でも、それが「くの字」型に折れ曲がっていることである。軸装にも真行草があり、一文字や中廻しや天地などの比率にも規矩がある。なのに風帯のありようは、いかにもぞんざいだ。
掛け軸そのものの幅に対して風帯が長めである場合、それをしまう際に、本体と一緒に巻き込むと、次に開くときに、スルメを焼いたようにくるりと反り返ってしまうので、折り返して巻く。その折れ目が「くの字」になるのだ。それなら、軸を掛けるときには、鏝でも当てればよかろうにと、ついつい素人は考えてしまう。「くの字」の様子に真行草もないだろうに……。
そんなことを身近な人に問いただしてみたが、すっきりした答えは返ってこなかった。だから掛け軸を見るたびに、頭の中が「くの字」になってしまう。誰かこの「くの字」をなんとかすっきり伸ばしてくれないものだろうか。


米澤 敬(よねざわたかし)

群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員をつとめ、中学校では卓球部、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。