忘れものあります|米澤 敬

38|吉本饅頭


 

吉本隆明といえば、ある世代にとっては吉本ばななのお父さんなのだろうが、上の世代にとっては、その「思想」をどう評価するのかが問われるような厄介な存在であり、畏れの対象でもあった。論争の強者といったイメージもある。それほどの読書家でも思索家でもない自分にとっては、「敬して遠ざける」対象だった。読みもしないで敬遠するのもいかがなものかとは思い、『共同幻想論』あたりは目を通したものの、歯が立たなかったことを覚えている。無論、読み方が悪いのである。80年代以降になってからは、吉本隆明の思索にいくばくかの手ごたえを感じるようになった。
そんな吉本さんには、一編集者としてお会いした。事前に電話で取材に快諾された際、雑談で聞いた「そういやァ、子どもの頃、近所のリンゴ農園からよくリンゴを失敬したなァ」という話をカメラマンに告げると、「だったらポートレート写真では、リンゴを齧ってもらおう」などと言い出した。カメラマンという生き物は、往々にして怖いもの知らずである。そんな歯磨きのコマーシャルみたいな写真を撮らせてもらえるのか、と不案が嵩じた。何と言ってもあの「ヨシモト」である。結局、駒込のお宅に向かう途中、八百屋でリンゴを買っておいた。会ってみると、吉本さんは漁師の親父のようでもあり、腕っぷしの強い気さくな家具職人のようでもあった。リンゴも喜んで齧ってもらえた。

インタヴューでは、当方がうかつにも振った稲垣足穂の話題に突っ込まれた。当人は突っ込んだわけではなく、単純に興味があったからなのだろうが、吉本さんは、足穂の『弥勒』と石川淳の『普賢』とを比べた上で、こちらの評価を聞きたがった。『普賢』なんぞは読んでいなかったから、しどろもどろの対応になる。その後も次々に質問が飛んできて、あっという間に土俵際まで追い詰められた。議論がしたいわけではなく、好奇心が旺盛で、若輩者を相手にしても真摯に質問をしてくるのである。最後には、当時吉本さんが関心を持っていた「臨死体験」についての話になった。帰り際に、玄関で手を振る姿を見て、何だか親戚の叔父さんの家をたずねた後のような気分になった。
その後も、原稿チェックなどで何度か吉本家へと足を運んだ。最後に訪れたとき、辞去しようとすると、突然玄関で「お土産があるから、ちょっと待っててね」と、台所の方に消えた。まもなくあらわれた吉本さんは両手に大きな瀬戸物の皿をかかえていた。皿の上には月見団子ように、小さな饅頭が山盛りになっていた。「いただきものだけどね、おいしかったから、おすそ分けだ」と差し出された。ぎょっとした。饅頭を盛ったそんな大きな皿を抱えて電車に乗ったら、間違いなく怪しい人だと思われる……という当方の当惑が顔に出たようだ。吉本さんは「これじゃ、持って帰りにくいよね」と、ふたたび台所へ。「これで大丈夫」とか言いながら戻ってきた吉本さんの両手には、さっきと同じ大皿と饅頭があった。違うのは、まるごとサランラップがかけられているところ。結局、皿をかかえて、地下鉄に乗るはめになった。怪しい人になりきって、地下鉄で饅頭をつまみ食いながら、あらためて思った。吉本隆明、恐るべし。


米澤 敬(よねざわたかし)

群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員をつとめ、中学校では卓球部、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。


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