忘れものあります|米澤 敬

39|茶飲み話


 

今回は表題どおり、いつにも増してとりとめのない話である。

ひところ、新入学の季節になるとテレビから「ともだち百人できるかな」というCMが流れてきた(現在も流れているのかもしれないが、テレビを観なくなって久しい)。なかなかいいフレーズだなと思っていた。でも、ともだちができない子どもはどうするのだろうか、と考え直した。自分も自慢じゃないが、ともだちは少ない。全国各地からかき集めても10人に満たない。先方がこちらをどう思っているかは置くとして、当方が勝手にどんな人間をともだちとして認めているかというと、「尊敬できるバカ」、あるいは「面倒臭い奴ではあるが、一緒にいると自分も心置きなく面倒臭い奴でいられる相手」ということになる。
相手が子どもでも大人でも、ともかく「たくさんのともだち」や「大きな夢」を強要するのは、やめた方がいい。それは宴席で酒を無理強いするようなものである。

周囲からは、下戸、ないし酒嫌いだと思われている節があるが、酒は好きだ。量が飲めないだけで、日本酒もワインもビールも、ウイスキーもラムも焼酎も、うまいものはうまいと感じる。残念ながら、日本酒にして1合ほどが適量なので、飲み比べを楽しむようなことはほぼ不可能である。ただ、飲み方と体調(あるいは飲む相手)によっては、3合以上からだに入れても、気分が悪くなることはない。
最初の酩酊体験は、小学生になったあたり、父親が買ってきたチョコレート・ボンボンのあまりのうまさに、3、4個たて続けて食べたときのこと。気がついたら天井がぐるぐる回り、頭は痛く胃は妙な感じで、この世の終わりかと思った。だからというわけでもないのだが、大人になってからの嗜好品の中心は、酒ではなく煙草と珈琲になった。
珈琲は無論、ブラックである。1日に何杯も飲むし、風味にも多少のこだわりがある。しかし近年、エスプレッソ・マシンなどの機械を使う店が増えてから、喫茶店やカフェ(同じことか?)の珈琲の風味が平板になったような気がする。やむなくここ数年は、その手の店で飲むときはカフェオレやカフェラテを選ぶようにしている。本来なら、自分で淹れるのがいちばんなのだろうが、不器用でせっかちなので、納得のいく一杯に仕上がったことがない。

振り返ってみると、これまでいちばん多く飲んできたのは、やっぱりお茶である。紅茶や番茶や抹茶ではなく、煎茶である。過日、佃一輝先生のご指導で味わうことができた一杯は、それこそ別次元のもので忘れがたい味わいだったが、日常的に飲む煎茶はそのような特別なものではない。ごく普通の茶葉に熱湯を注ぐだけである。湯を冷ますこともしない。とにかく熱く、色の濃い、そして渋くて、それでいてどこかに旨味の切れ端が隠れているようなお茶。つまり渋茶である。実家の食卓には、いつも安い茶葉を入れた茶筒と急須、そしてお茶請けの白菜の漬物を盛った丼があった。渋茶は、物心ついて以来、馴染んできた嗜好品なのである。

30歳を過ぎたあたりで、ある知人に老後の「夢」を問われたことがある。このときは即答した。「陽の当たる縁側で、気の置けない相手と漬物をつまみ渋茶を飲みながら、とりとめのない話をしていたい」。
そんなともだち、百人できるだろうか。


米澤 敬(よねざわたかし)

群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員をつとめ、中学校では卓球部、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。


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