忘れものあります|米澤 敬
47|はじめてのお買いもの
お金というやつは、つくづく不可解だと思う。なんでもかんでも「値段」さえ付いていれば(というか昨今はなんでもかんでも「値段」を付けることができると思われている)、お金を媒介すれば交換できる。近年、貨幣システムは戸籍制度と同様に、効率的に税を徴収するために整備されたとする説もある。なるほどと思わないでもない。
いずれにしても、現代ほどお金が当たり前の道具でなかった時代には、貨幣は呪物でもあったようだ。寺社のお札(ふだ)も千円札(さつ)も、ともに「札」であり、寺社では「おはらい」をしてもらい、買いものをすれば「しはらい」をする。
昔話でも、ここ掘れワンワンの大判小判はともかく、一文銭のたぐいは、富というより不思議な力の象徴であるようだ。物語や随筆には「へびこしき」なるものが登場する。多くの蛇が密集して団子状に固まった状態であり、「蛇甑」とも綴る。その中に手を突っ込むと、一文銭が手に入るとされている。おそらく、蛇をお使いとする弁天様からの連想だろう。弁才天はヒンドゥ教の女神「Sarasvati」の漢訳だ。日本では蛇神の宇賀神と習合し、弁「財」天と転ずることで、銭洗弁天のようにお金を増やしてくれる神さまになった。
はじめてお金を手にしたときのことは、よく覚えている。母親から10円玉を渡されて「駄菓子屋で好きなものを買っておいで」と言われた。森永やグリコのようなブランドもののキャラメルでも10円で買えた時代である。駄菓子屋の店頭にあるたいていの「商品」は10円で贖えたのである。そのときになにを買ったのかは、記憶にないが、5円玉を釣り銭にもらって驚いた。1枚のコインで買いものをすると、お菓子と1枚のコインがもらえるのだ。お金は使っても減らないのだと思った。しかも、鈍い赤褐色の10円玉(青銅製)に比べると、5円玉(真鍮製)は黄金色に輝き、細工も精巧に見えたし、穴まで開いている。そのときに感じた貨幣や取引の不思議を突き詰めて考えていれば、もしかしたらジョージ・ソロスのようになっていたかもしれない。……別になりたいとも思わないが……。
むしろそんな貨幣初体験のためか、いまでも経済や経営をめぐるあれこれは、不得手なままである。社会や企業は経済的に発展しなくてはならないなどと言われても、もう一つ得心できない。そんなもの発展しなくても、右肩下がりでもいいじゃないか、とさえ思ってしまうのだ。発展はあくまでも結果であって、お金というやつは目的にしてしまうと人心にも自然にも祟る。
数年前、ある地方都市でちょっとユニークな商いを手がけている初老の経営者に会った。素人目にも、もっと手広く商売してもいいのではないかと感じたので、その旨を伝えると、「会社を大きくすればするほど、世界も世間もどんどん狭くて窮屈なものになっちまうから、そんなことは真っ平御免だ」と即答された。そういえば、はじめて10円玉を握りしめて入った近所の駄菓子屋には、未知の世界が広がっていた。
米澤 敬(よねざわたかし)
群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員をつとめ、中学校では卓球部、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。
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