忘れものあります|米澤 敬
50|サケとゴルフとクルマとコドモ
他者から職業を問われると、とりあえず「編集」と答えている。ただし当人にはそれが「職業」であるという意識はあまりない。毎日オフィスで遊んでいるようなものだからだ。その「編集」については、M氏とA氏という2人の先輩から随分、学び、盗み、そして真似させていただいた。
ご両人とも40年を超える付き合いだ。先達であるような、師匠であるような、あるいはお手本であるような存在ではあるものの、どの呼称もしっくりこない。M氏は11歳年長で4年ほど現場をともにしたが、先年鬼籍に入られた。A氏は7つ上で、いまもいっしょに本をつくらせていただいている。
最近、この両氏と自分とのあいだにいくつか共通点があったことに気がついた。大したことではないが、3人ともに、酒とゴルフと車の運転に縁遠いのである。先輩2人は、そんなことに使える時間と金があるなら、本に集中したいということなのだろう。残念ながら、当方には、それほどの本への執着があるわけではない。
酒については、3人のなかでは、日本酒一合あたりが適量の自分がいちばん強い。先輩たちは、ほぼ完全な下戸である。
自分がはじめて酒を飲んだ(食べた)経験は、幼い頃に父親が買ってきたウイスキーボンボンだった。あまりの美味さに、一度にいくつも頬張った。すぐに世界がグルグル回りはじめ、激しく頭が痛み、口から胃が飛び出しそうになった。だからというわけではないけれど、以来、酒は敬して遠ざけるようにしてきた。酒そのものは好きなのだが……。
ゴルフについては、小学生時代に父親から子ども用のゴルフセットを買ってもらったことがある。ゴルフをやったことがない父親が、なぜそんなものを我が子に与えたのか真意が見えない。で、ルールもわからぬまま、狭い庭で、ウッドやアイアンを振り回し、ボールを叩いてはみたものの、何が面白いのかさっぱりわからなかった。
クルマの運転は、無免許で大学構内でを乗り回したことがある。これは危ないと思った。クルマが危ないのではなく、自分が危ないのである。ハンドルを握ると性格が変わる。これでは、自分も他人も、いのちにかかわる。それに教習所に通うのも億劫だった。見ず知らずの相手に頭を下げて教えを乞うのもごめんだった。それでも東京にいるときには感じないが、地方に出かけた際などには、免許があると便利だったのに、としみじみ思う。
交通事故には一度だけ当事者になった。幼稚園の帰り道、道の反対側で幼馴染の女の子が手を振っていた。思わずそちらに向かって道路を横切ろうとした瞬間、バイクに跳ね飛ばされた。うっかり、よわい4つにして女で身を滅ぼすところだった。気がついたら病院のベッドの上にいた。次の記憶では、家で普通の生活をおくっていた。つまり数週間分の記憶が飛んでいたのである。もしかするといまも病院で意識が戻らぬままで、その後の自分の人生はベッドの中で見ている夢なのではないか、などとつまらぬことを考えることもある。
そういうわけで、自分がサケとゴルフとクルマから距離を置いていることには、さしたる理由はない。たまたまなのである。
そういえば、M氏とA氏と自分との共通点がもうひとつあった。子どもがいない(多分)のである。3人ともいくつになっても、子どもじみているので、そこはわからないでもない。いつまでも子どもであるなどといっても、「永遠の少年」のように美しいものではさらさらない。そういう面も多少はあるにはあるが、要するに社会的責任や面倒ごとを忌避している、あるいは逃げているだけなのだろう。それはきっと周囲にとっては、迷惑千万であり、多くの人が見えないところで後始末をしてくれているはずなのである。
米澤 敬(よねざわたかし)
群馬県前橋市出身。小学校ではは新聞委員をつとめ、中学校では卓球部、高校では生物部に所属した。以後、地質調査員、土木作業員、デザイナーを経て、現職は編集者。
< 49|クマを想う を読む